煙草の煙が目に染みる

感情の垂れ流しが、目に、心に染みるように。

まだ気付かれていない夢追い少女たち アイドルのMV再生数10000回以下のオススメ曲

世はアイドル戦国時代。夢を追い続ける少女たちは、夢に向かって悪戦苦闘しているに違いない。

っていうか、その夢の終着点って「売れたい」に集約すると思うんです。「人を元気にしたい」とか「自分の思いを吐き出したい」とかは色々あるんすけど、それを世間に知ってもらうためには最終的には売れなきゃいけない。非情ですね。言っちゃえばアーティスト全般に言える。

実際、僕は売れなくても全然良いとは思います。その行為をすること自体が素晴らしいんですから。僕はアイドルオタクとして、そんな素晴らしい夢に向かって行動に移している女の子を応援したい。

でも、そんな中でせっかく素晴らしい曲を歌っているのにYouTubeでのMV再生数が10000回以下、なんてことがザラにあります。今回はそこにフォーカスを当てて紹介致します。

これの元ネタ、まだ誰も聴いてない天才たち 邦楽インディーズバンド再生数10,000以下よりオススメ4選 | BASEMENT-TIMESなんですけど、それのアイドルバージョンです。でもこのサイト全然更新しないので、代わりにインディーズバンドの記事も書けたら書きます。

本心は、みんなが知ってくれれば嬉しいし、それによってアイドルたちが活動を続けて、ちゃんと保険に入って、貯金して、老後を豊かに過ごして欲しい。要するにパパ心です。気持ち悪いですね。

はい、それでは行きましょう。

 

Lila Gray

アイドルを下に見てるバンドマンを殺すアイドル特集 2020 - 煙草の煙が目に染みるにて紹介したPayrin'sと同じ事務所、株式会社エイトワンがプロデュースするアイドルです。

グループ名の「Lila Gray」は、「誇り」「思い出」などの花言葉があるリラの花と、どこか含みのあるグレーを掛けあわせた造語らしいです。今知りました。リラって聞き覚えはないかもですが、みんなが知ってる言葉で言うとライラックです。札幌民なら100%分かりますね。で、ライラックってのは基本紫なんですけど、グレーって色はスピリチュアル的に言うと「閉鎖的」な意味を持つんです。あとは黒と白の両方の意味を持つ「二面性」とか。でもその中には「信念」があります。グレーってそんな色です。この「孤独の熱帯夜」という曲は、その「誇り」だったり、「閉鎖的、しかし信念がある」といった印象を受けますね。

この孤独の熱帯夜は、作詞・作曲・編曲をボカロPであるすりぃさんが担当しています。いやどこにそんなコネあるん。

サビの歌詞なんですけど、

寂しさに溺れてる熱帯夜

愛情なければクラッシュして

暗いこの部屋は熱帯夜

問題だらけでクラッシュして

息詰まる程に目眩を覚えた

だからせめてその愛に触れたいわ

っていう、本当に閉鎖的。でもすりぃさん独特の中毒性あるメロディで、それこそ「二面性」を感じます。

自己中心的な愛を持つ信念と、そのリラの花のような妖艶さ。この曲を聞くだけで、これから売れていくんじゃねえかな、って思わせます。

 

さよならステイチューン

でんぱ組.incや、虹のコンキスタドールとかいう超有名どころが所属する株式会社ディアステージが手がけるアイドルです。

「永遠なんてない。今、このままで。」をテーマに、アイドルの今を駆け抜けるリアルタイム発信ユニットとして活動しております。

僕の中でのディアステ所属のグループのイメージって、完全に世間一般が思い浮かぶようなアイドル像を体現している感じなんですよ。で、例にも漏れず、さよならステイチューンもアイドルらしいアイドルの印象を持ちます。

でもでんぱ組.incとか虹のコンキスタドールと違うなーって思うのは、テーマにしている「今、このまま」っていうように、完全に今のアイドル像を表現してんなーって思います。元ゆるめるモ!のあの(ano)の「F Wonderful World」をYouTubeで聴いた話 - 煙草の煙が目に染みるでもちょこっと言ったんですが、今のアイドルって「元気いっぱい!!!」って感じより、自分の感情を曝け出した感じが主流になってきてます。ディアステはその流れに対して完全に逆行してアイドルらしいアイドルを貫いている訳ですが、さよならステイチューンはアイドルはアイドルなんだけど、自分のアイドル像を取り入れたアイドルって感じがします。分かりますかね、言ってること。ディアステの新しい形、って言ったらまあ良いんですかね。そんな印象を受けます。

で、最近配信された新曲「ドドドあいどるっ!」ってのがあるんですけど、作詞はバンドじゃないもん!MAXX NAKAYOSHI、神聖かまってちゃんのみさこが書いています。みさこの書く詞はすげー好きなんですけど、完全に明るい曲調の曲でもちょっと裏を見せたり、自分の考えを詞にしてる感じがします。それがすげー好き。さよならステイチューンってアイドルとして、僕のイメージとみさこの詞がガッチリした感じがして、この曲は表現としてマジ良いっていうか、さよならステイチューンがやりたいこととマッチしてる曲と思います。是非、ディアステの新しい形、聴いてみては。

 

さっきの女の子、

株式会社OREっていうところに所属のアイドルです。実際この事務所、一切知りません僕。新しい事業として始めた感じじゃないっすかね。

「あなたの人生に寄り添い、彩る」をコンセプトに掲げた「未来のおしゃれスタンダード」をベースとしています。グループ名は「、」までが正式なグループ名で、「終わらない」「続くように」という意味が込められているらしいっす。

で、意外にも活動開始が2016年っていう、まあまあ長い期間やってて、海外ライブとか、メンバーがミスiDに出たりとか、結構幅広くやってます。ただメンバーの入れ替えがまあまあ激しい。学業に専念みたいなパターンが多いので、仕方ないっちゃ仕方ないんですけど。

ただ僕がこのアイドルの曲聴いてみよってなったのは、完全にタイトル。「は期待するきらい」とか「はまた走り出す」とか、グループ名から繋げてくる感じ。いや普通に面白いわって感じ。あんまりそういうことしてるアイドルっていうか、アンダーグラウンドなバンドでもしてない曲名なので、見た時は衝撃受けましたね。僕Pixivで小説書いてるんですけど、このタイトルとサブタイトルを繋げるとかいう、文学としての応用も可能です。文学的にも面白いことしてんな、って感じです。

曲調はアイドルには珍しいジャズベース。多分非日常感を狙ってんのかな、って思います。実際アイドルの現場は非日常の世界なので、それを根本的なテーマにして楽曲を作るっていうのは理にかなっているっていうか、思いつきそうで誰にも思い付かなかった感じがします。

んで作曲の中心にいるのはYASUHIROっていう、maimaiに収録されている曲とか、デレマスの作曲とかしてるやべーお方。だからアイドル業界、どっからコネ作ってんねんマジ。

ジャズベースのアイドル曲で送る非日常から生まれる感情。そんなものを感じさせますね。

 

雨模様のソラリス

さよならステイチューンのディアステージとPerfect Musicによる合同プロジェクト「#DSPM」よりデビューしたアイドルです。

で、お披露目ライブは今年の2月に行われて3曲披露したんですけど、作曲は天使のクローバーで知られるボカロPのDIVELA、赤い雨で注目を浴びたボカロPのbuzzGなどが参加。ガチです。ガチガチです。で、振り付けは元BiS、GANGPARADEのカミヤサキ。あの坊主の人です。ガチガチじゃんマジ。

曲としては、ベースはロックサウンド。で、今回載せたForever and Everは、作曲はcinema staff三島想平、作詞は元the cabsの高橋國光。なんていうタッグだ。曲の雰囲気として、cinema staffの感じ特有の疾走感を感じさせるんだけど、意味分からん展開。それでも、オルタナティブ感のある幻想的な雰囲気を感じさせる。それに合わせた高橋國光の歌詞。歌詞は若干the cabsとは違う感じはしますが、文学的な雰囲気は残っている。そんな感じでしょうか。

グループの色として、多分オルタナロックをやって文学的で尚且つ幻想的っていうのをやりたいのかなーって思います。その中でボカロP特有のゴリゴリのリズム隊だったり、リズム感を重視した曲作りになっていると感じます。実際こういうのは2000年くらいのオルタナロックを継承した現代のロック音楽として見られている傾向で、まだまだやってる人たちは少ないですが、僕はこういう音楽が大好きなので、どんどんやっていって欲しいと思いますね。

 

終わらないで、夜

Day-Break Production所属のアイドルです。この事務所も一切知りません。で調べてみると、所属グループはこの終わらないで、夜のみ。このグループにかけていた思いが伝わります。

キャッチフレーズは「夜が好きな人は人が嫌い。」ってことで、なんというか、人間の裏の感情と夜の風景描写が混じったようなイメージを受けます。ホームページを見てみると、都会で暮らす中で抱える虚無感や葛藤、って文があるので、あながちこのイメージは間違ってないかな、と思います。デビューライブの箱が青山月見ル君想フなのも面白い。

曲調としてはピアノサウンド重視。イントロで鍵盤の優しい旋律を聴かせ、シンプルな曲とステージの披露。で、珍しいのがライブ中はダイブやモッシュは禁止。イメージ的にそりゃそうだろうなって思いますが、今のオタクをディスるわけではないですが、単純にモッシュするために来てるオタクもいたりして、そういう人たちからしたら好かないグループなのかなって思います。

曲を聴くと、メンバーの歌声はまだ誰が誰か微妙な状態なんですが、メンバーそれぞれ歌声が違うっていうか、メンバーそれぞれの葛藤や抱えているもの、そしてそれをどう表現するかっていうのが全然違うのが分かる。時には優しい歌声、時には衝動的な歌声と、それぞれがそれぞれのまま曲に乗せているんだなぁ、と感じさせます。

アイドルってグループでイメージを固めてることが多いんですけど、この終わらないで、夜は違うと思います。言い方はアレなんですが、完成していない。未完成のまま、不安定のまま、曲にしている。実際、それは正解だと思います。完成している美しさもあれば、未完成も別の美しさを感じる。そんな感じです。それが世界観の1つとして活動しているのかなって感じです。

しかし、残念なことに2021年9月20日を持って現体制での活動を終了することが発表されました。ラストライブ、僕はただ完成されたステージを見たくない。完璧なステージ、全員の揃った歌声。そういうのはこのグループには求めてないです。それぞれがそれぞれのまま、グループとしては不安定のままで終えて欲しい。それが美しさです。今のうちに、聴いてみてはいかがでしょうか。

 

✳︎

 

てなわけで、YouTubeのMV再生数10000回以下の動画を見てもらいましたが、いかがでしょうか。音楽は多種多様です。だからこそ、素晴らしい。バンド音楽が好きだからアイドルは聞かねえよ!wwwって人は、少し考え方を改めてください。新しい世界、新しい表現が待っています。気付いてください。そして、少女たちの夢を、叶えてあげるのも、一興ではないでしょうか。

 

おわり。

ロックミュージシャンが今の情勢に関しての発言をすることについての話

はい。こんにちは。

 

突然ですが、皆さんは『ディスカッション』というものをしたことがあるでしょうか。知らない中高生のガキ達に簡単に言うと、議論とか話し合いです。誰でもしたことありますよね。ディスカッションのルールというか、常識として、あるテーマについて、参加者たちが自由に意見や情報を出し合いながら、より良い結論へと導いていくことが必要です。勿論、肯定的な意見だけでなく、否定的な意見が出る場合があります。この意見を全員でまとめ上げて、最終的な結論を出す。まぁディスカッションはそんな流れです。

こういう意見の言い合いってのが最高に面白いと僕は思います。他人の意見を聞きつつ、ここは合ってるけどこうだよね、みたいな発言が生まれて、正解のないテーマに対しても、そのグループ内で納得できるような結論が生まれていくからです。その結論は、実際何でもいいんですよ。犯罪行為じゃなければ。世間からズレてようが、常識の範囲外であろうが。それが新しいアイデアを生むことに繋がります。

 

で、話はすげー変わります。最近のインターネット上での批判について。さっきも言った通り、犯罪行為に繋がるとか、人の命に関わるとか、そう言ったもの以外は、全然否定的な意見は発信すべきだと思います。

しかし。批判を行うような大多数の人間は、相手の話を聞かずに自分の意見を頑なに貫きます。これは、話し合いとしては不成立だと思います。簡単に言うと、断片的な情報だけで、自分で勝手に解釈し、批判しがち、ってことです。これは若いっていうか、ガキにありがちな傾向です。母親に好きなものをねだって、それが貰えないと「やだーーー!!!!」ってずっと言うガキと同じです。

あとは、批判したいが為に意見を変えてくるやつもいます。実際、これめちゃくちゃ多いです。前の記事にも書いたかもしれませんが「オリンピック反対!!!ギャー!!!」って言いながら、自分は外で飲み会してるとか。めちゃくちゃ見てて面白いです。

 

そしてここから書くのが、タイトルにもある通り、アーティスト、というかロックミュージシャンが世間の情勢について、意見をSNSやステージで発信することについてです。

そもそも、ロックミュージックは、ロンドン、サンフランシスコから生まれたもので、ヒッピームーブメントやカウンターカルチャーなどの社会運動が高揚した時代と同時期に流行り出しました。つまり、カウンターカルチャーによって流行った音楽です。カウンターカルチャーって?ってなりますが、てめーらが大好きなサブカルの一種です。サブカルチャーのサブってのは『主流文化に反する』って意味です。あと『少数派』って意味もあります。

んで、そんな主流に反するって感じで流行ったんだから、政治行動や人種、性別、セックス、薬物使用に対する意見と結びつきが凄かった。皆大好き、レッドホットチリペッパー。今でこそ、すげー詩的な感じですけど、初期はドラッグや性的倒錯、アルコールについて歌ってました。実際ヤクしてたし。グラミー賞取った『Give It Away』とかも薬物の経験とかの話が元ネタです。詳しくはググれば簡単に出てきますが、歌詞は自分の意見マシマシです。それでも売れた。僕はこれがロックの本質だ、と思います。

 

 

で、現代の日本の話です。今、フジロックが無事かどうかはまだ分からないですが終了し、その後のKing Gnuの常田のInstagramの投稿が話題になってます。

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取り上げられているのは「怒りの矛先を間違えるなよ」という文章。で、皆制約の中で働いてて、それを守っているんだよ。だから矛先を違うところに向けるなよ。ってことですね。

で、常田に関してはこの『間違っている怒りの矛先』とか『自分が思ってる怒りの矛先』については何も言及してないので、話し合いの意見としてはめちゃくちゃズレてる。書くならちゃんと書けよ、とは思います。

でも1番やべーのは、この言及してない矛先を勝手に予想して肯定してるファン、そしてそれを否定し始めたTwitter民です。さっき話したディスカッションで話すと、テーマがめちゃくちゃ曖昧なのに、意見を言い合ってる状態です。いやこれ普通に考えたらどうなん?って話です。

 

んでまぁ、肯定的な意見は『常田さん素敵♡』みたいな感じなのでどうでもいいっていうか、完全に上の人に対する憧れの感情による肯定って感じなので参考にはしてませんが、否定的な意見を少し見ましょう。

 

「不要不急なロックフェスを開催し、感染拡大を助長させることについても怒りの矛先になる」

「直前に辞退した人達との違いだよ 今の日本の状況を考えて発言できないのか 自分中心主義で周りが見えてない」

 

みたいな。で、僕『音楽』を止めると『文化』が死ぬ - 煙草の煙が目に染みるで言いましたが、主催者側、アーティスト側ではなく、ボロクソ言うべきは感染対策をしようとしないライブを観に来た参加者だってことです。フジロックに関しては、主催者側が感染対策を設けて、アーティストはそれを信用して参加している訳です。開催意義や、開催したことによる音楽カルチャーの未来も提示しました。このフジロックによって感染者が現れた場合、責任をフジロック側やアーティスト側に丸投げするのはナンセンスではないのか?って思います。だって感染対策提示してんのに、それを守らなかったやつが悪いに決まってんじゃん。100%とは言ってないですよ?フジロック側にも荷物検査の甘さとか色々あります。でもさ、東京で深夜飲み屋街で出歩いてマスク無しで酔っ払ってる人たちを見て、いや都が悪い!ってなります?ならないですよね?それと同じ原理にはなります。

あと自分中心主義って言葉。さっき言ったように、ロックは完全に自分中心の音楽です。それを批判するのは何かなーって思っちゃいますね。

 

多分これって、サブカルチャーが若者のメインカルチャーに移行しつつあるからだと思うんですよ。本来、サブカルチャーなんて社会への反乱文化なんだから、それを受け入れられること自体が違います。ただカッコいいから、ってサブカルチャーを肯定するのは、申し訳ないけど本質的には間違ってます。でも今はそういう時代になってきたのは認めざるを得ません。

しかしですね。文化の肯定ではなく、ロック音楽の肯定だけって若者が多いんですよ。それによってカウンターカルチャーとしての発信が難しくなったというか、する人が少なくなってきたんだと思います。

そして、さっきも言いましたが、批判する人間というのは、自分の意見との相違があるとすぐに叩く。社会への反乱発言は認められないのに、音楽だけが生き残った。でアーティスト側は叩かれたくないから、思っても発言しない。何かアーティストも批判する人間も不思議だな〜〜〜って思っちゃいます。

 

あと政治関係の発言をする方と言えば、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤が有名。記憶に残ってるのは、確か2016年のフジロックフジロックにSEALDsのメンバーが出演することに「音楽に政治を持ち込むな」みたいな意見に対して「主張はステージで繰り返してきた」ってツイートしてました。あとは元安倍首相批判発言、反原発発言とか色々。いや、これこそ本当のカウンターカルチャーサブカルチャーなんじゃないか?って思うんです。もっと社会に対して反論しろ。もっと常識の概念を破壊しろ。そう思います。別に意見の中身に対する否定的な意見は良いと思うんですが、その意見をする行為を批判するのは、ナンセンスかなって思っちゃいます。

 

結論です。

バンドマンはどんどん自分の意見を発信してください。それを曲にしてください。それがロックという文化です。ファンから見切られようが、批判を浴びようが、自分の意見を貫いている奴の方がめちゃくちゃカッコいい。実際、今の邦楽は完全にポップスです。ポップスなんか僕は聴きたくも、見たくもない。日本だからこそ成り得る、ロックをどんどん見せてくれ。

 

どうぞ、この記事自体を批判してください。滑稽ですので。

 

おわり。

『音楽』を止めると『文化』が死ぬ

こんにちは皆さん!感染対策、してますか!

 

あの、僕がこの「コロナ自粛」で見えるライブビューイングの方法の変化 - 煙草の煙が目に染みるっていう記事を書いてから1年半くらいが経ちました。1年半前の僕は「いやwwwどうせ1年経てばインフルみたいに季節性の風邪みたいな感じになるんでしょwww」とか思ってました。しかし新型コロナウイルスの猛威は収まらず。むしろ悪化している状況にあります。

Twitterとかで、この状況になったのは何が悪いのか?みたいな議論をたまに見かけます。「日本政府の対応が悪い」「政権交代を」「オリンピックのせい」など色々。ウケますね。実際、緊急事態宣言などのコロナ対策をするタイミングはめちゃくちゃ遅いです。しかも中途半端。分かるよ。気持ちは分かる。でもね。実際、緊急事態宣言みたいな対策は打ってるわけですよね。それらの意味って『新型コロナウイルスの蔓延を防ぐため』に、専門家やらが議論に議論を重ねた上で、現状日本で出来ることを国民の皆様がしてね!ってことです。それを「日本政府が悪いから俺は従わないZEwww」みたいな連中が多数いて、何か色々してます。その行為が、新型コロナウイルスを蔓延させることに繋がるとは考えないんですかね。勿論、お金だったり仕事だったりと仕方のない部分はあります。支援金すら受け取れない日本の状況も分かります。ただ、別に関係ない一般人が深夜ノーマスクでソーシャルディスタンスを取らずに飲み歩いたり、オリンピック反対デモを密になってやるのは、めちゃくちゃ滑稽です。ウケんね。根本的な思考が間違ってますね。

 

まあそんなことを言いたいんじゃなくて、やはりこの新型コロナウイルスが蔓延してから、音楽に触れる機会がめちゃくちゃ減りました。僕は大嫌いですが、夏フェスやらが軒並み中止。最近だと、北海道のJOIN ALIVEも中止になりました。そのフェスの中止理由として『市や医師会からの要請』が大多数となっています。

で、一応JOIN ALIVEの中止のお知らせの文を見てみます。

 

昨年の開催中止を決断してからコロナ禍に於ける安全なフェス実現に向けて、1年以上の長い時間、開催地である岩見沢市、地元関係者の方々と何度も話し合いを重ね、例年にはない様々な対策を講じての開催を予定しておりました。

声を合わせて歌う事や、歓声を上げることはできなくても、広大な自然や、素晴らしいアーティストの演奏に酔いしれる事は長引くコロナ禍での暮らしや心に「ひとときの休息」を感じていただけると考え、制約の多い中での新しい試みも計画しておりました。

 

っていう感じです。主催者側は『例年にはない様々な対策』をして、フェスを開催しようとしてました。その対策ってのは、開催されなくなった今は知る由もないですが、安全を第一に考えた開催を考えていたはずです。しかし、何故市は中止を要請したのか。感染が拡大してるから。フェスに感染拡大のリスクがあるから。うん。でも主催者側はしっかりと感染対策してるじゃん、と思いません?感染拡大リスクの要因は主催者じゃないです。フェスを観に来る人々が要因です。音楽ファンは「医師会許せねえ」とか「自治体やら地域住民許せねえ」とかなってると思います。それは、さっき言った、別に経営も何もしてない一般人が「政府が悪い」とか言ってるのと同じです。責任を上に転換してるだけ。まずそれを理解してください。

 

んで、さっき僕フェス大嫌いって言いましたね。その理由って、フェスに参加する人の民度の問題なんです。ゴミ放置とか、夜騒ぐとか、そんな感じ。ここさ、居酒屋じゃねえんだわ。

 

僕の勝手な偏見をお話しします。

最近ってかここ十年前くらいからの音楽シーンって、確実に変わっていったと思います。勿論、音楽のトレンドもそうですが、ライブに行く人の目的が完全に変わりました。僕の持論ですが、好きな音楽を聴いて騒ぐのは全然良いです。どんどんやってください。それが『非日常感』を生みますから。でも、騒ぐ為に音楽を聴く奴らが増えてきました。目的が完全に逆になってきたんですよ。たまに「騒ぎたいだけの人はライブに来るな」ってツイートに「騒ぐことがライブの醍醐味では?」みたいなリプライが飛んできます。その原因って、この双方のライブに行く目的が全く逆だからだと思います。音楽聴く為にライブに行って騒ぐのか。騒ぐ為にライブに行って音楽を聴くのか。そんな感じだと思います。

僕は、別にライブに行く理由なんて人それぞれだから、そんな議論どうでも良いです。どっちが悪いとかどっちが良いとかないです。ただ『騒ぐ為にライブに行って音楽聴く』層の方が、マナーが悪いのは事実です。第一目的が『騒ぐ』なんですから。そりゃリスペクトはないです。その層が多いのが、フェスだと思うんですよね。だから感染拡大リスクは上がる、実際上がらないかも知れないが上がると思われている、ってことです。僕の考えは理解してもらえましたか?

 

で、その印象が大きいから音楽フェスは中止を余儀なくされています。学校の運動会、修学旅行の中止も同じ理由だと思います。上が感染対策を提示しても、その対策を実行するべき人間が、その対策をしようとしない。そんな印象が大きくあります。オリンピックはどうなんだ!って話ですが、選手たちは感染対策をしているはずです。だって適当なことしたら、世界中から批判浴びるに決まってるから。実際、海外のオリンピックの記者がノーマスクで大勢で酒飲んだりして批判浴びましたね。実際それはほんの一部で、そんなこと分かってる選手や関係者は、下手なことなんてしません。でもその一部を切り取ってオリンピックを批判する人もいます。それについては是非はありません。

 

フェスの話に戻ります。フェスの中でも、フジロックは現在開催されています。フジロックに関しては、市や地域住民の理解は得られた、ということになると思います。何故か。オリンピックと同じ原理です。大きなフェスになるほど、下手なことしたら批判がヤバい、ってことを参加者が自覚する可能性が高いからです。最大級のフェス、ロッキンの中止に関してはまた別な理由があるとは思いますが。それについては言及して、あーだこーだ批判するのは愚の骨頂なのでしません。んで、地方の規模は小さめのフェスになるほど、注目度は減ります。経済効果から見れば莫大なものにはなりますが、フジロックとかには敵いません。つまり批判を浴びにくい環境であるということ。上が同じような限界体制の感染対策をしたとしても、民度は地方のフェスの方が下がります。それは確実です。だから、地域住民の方がいつものイメージのままで考えると、確実に感染リスクは上がるだろう、と判断してしまうわけですね。

 

あと、フジロックで一番貢献していると思うのは、YouTubeでの無料配信です。無料ですよ?無料。YouTubeだからそれに対する広告収入は少しは入るかもしれません。しかし、普通に通常規模で開催した場合と比べたら確実に落ちます。この無料YouTube配信ってのは、フジロックの主催者側の『音楽を殺さない』って意思がすげー見えます。例え目的が違おうが、音楽は新型コロナウイルスでは死なないんだ、という願いを込めたものになっているんじゃないでしょうか。僕も改めて再認識することが出来ました。

 

ここで、一つだけ思ったことがあります。

もし、音楽のライブやフェスの意味が『騒ぐこと』に完全移行した場合どうなるのか?ってことです。実際、時代の流れ的にはそのような感じになっています。ここからは完全に僕の予想です。

まず、純粋に音楽を楽しんでいる人間は、確実に新しい音楽コンテンツから離れていきます。そして昔の曲を聴き出します。「昔の音楽シーンは良かったなぁ」って言いながら。これは懐古厨でもなんでもないです。新しい流れについていけなくなった訳でもないです。ただ、新しいコンテンツが死んだことによる現状に過ぎません。そして、騒ぐために音楽を聴いている人間。第一目的が騒ぐことなので、騒ぐ場所を新しく見つけるか、作ろうとするはずです。例えば、路上で音楽をかけながら酒を飲みダンスって騒ぐ。それかクラブに行く。つまり、音楽は死んだとしても、人間に関しては死にません。音楽による人間の殺害はほぼ無いと思います。しかし、日本の音楽が死ぬことにより、日本の文化の一つが死にます。音楽カルチャー、トレンドの実質的な死です。

 

僕は思うんです。

このままだと、日本の音楽文化は死ぬ。

 

だから、僕は音楽に触れる機会を多くする為に、インターネット配信を強化しろ、ってずっと言ってます。有料だろうが構わない。そもそもライブに行くにはチケット代とドリンク代を払わなければならないですから。純粋に音楽を楽しみたい人間は、インターネット配信だろうが、それを生で見れなかろうが、確実に視聴します。実際、僕がそうです。だから「コロナ自粛」で見えるライブビューイングの方法の変化 - 煙草の煙が目に染みるで言ったように『音楽特化型の投げ銭システムを簡略化したインターネットライブハウスを開設すべきだ』という持論をずーーーっと展開しています。そっちの方が実際WIN-WINです。しかし、フジロックは無料で配信を行った。覚悟がエグいと思います。江口洋介です。利益目的かそうじゃないかの違いはありますが、基本的には何らかの形でインターネットを活用したライブビューイング方法を確立すべきじゃないのかなーって感じですね。主催者側が感染対策して、じゃあこれ守ってくださいね!って言ったところで、確実に守らない輩は一定数います。だからこそ、新しい何かを考えていくべきなのでは、とは思いますね。音楽が死なないために。それを簡単な例としてフジロックは示してくれたんじゃないかな、って思います。

 

実際問題としては、音楽を聞いたから騒ぐのか、騒ぎたいから音楽を聞くのか、どっちが正解なのか?っていうその議論は不毛です。ていうか、どっちでもいいです。時代の流れですから。それを否定するのは、今の音楽カルチャーを否定することにも繋がりますしね。

ただ、一つだけ言いたいのは、本当に根っこの部分は変えてほしくないなって思います。音楽の本質は、聴くっていう感覚で起きる感情変化を楽しむものです。そこだけは。そこの本質だけは変えてほしくはないですね。

 

僕は音楽を愛しています。音楽に救われた人間です。だからこそ、今の音楽シーンが止まることを本当に危惧しています。それは結局、新型コロナウイルスの影響って部分なんですが、本質を見るとライブやフェスを観に行く人間によって音楽は殺されつつあります。皮肉ですね。音楽を純粋に楽しんで欲しい。例えそれが完全に踊るためのテクノポップだろうが、今流行りでめちゃくちゃ嫌いですけどコミックバンドだろうが、まずは音楽の本質を考えて聴いて欲しい。その結果、テンション上がって踊るのは大賛成です。

 

ちなみにこの記事、酔った勢いで書いてたらデータぶっ飛んで、酔ってたからデータ消える前に何書いてるか分かんなくて、今シラフで書いてます。データぶっ飛ぶのはマジやめて、はてなブログさん。

 

まあ、人の意見は人それぞれ。批判やらもあります。でも何か今って、自分との考え方が合わないから叩いたろ!wwwみたいなのが多くて、それって面白くなくない?って思うんです。そんな考え方もあるんですね、でも自分の考え方はこうです。みたいに、意見の交換が面白いんですよ。それは結局は批判なんだけど、ただ他人の考え方を一度受け入れて考えるか、そうじゃないかでだいぶ違います。ヒップホップでもアンサーソングってあるしね。めちゃくちゃディスを混ぜてるのもあるけど、それは確実に、一度相手の意見について考えなきゃ出来ないです。無意識に叩いたろ、ではない。そんなアンサー、お待ちしております。

 

檸檬堂、久しぶりに飲んだけどめちゃくちゃ美味いですね。好きです、檸檬堂。

あと完全なディスですが、酒を飲むことを『呑み』っていうやつマジ嫌いです。ストロングゼロ呑みまくって(笑)、肝臓ぶっ壊れろ。

 

おわり。

 

 

【追記】

フジロックの現場のツイートが流れてきました。

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こんな感じ。ウケんね。フジロック側は印を用意して「この印を目印にして立ってね」っていうことをしてるらしいんですけど、結局空いてるスペースに入り込む人間がいるらしいです。実際、フジロック側に強制力はありません。多分、フジロックはファンを信じてるからだと思います。それを裏切っている参加者たち。

多分これ、来年もコロナ収まってなかったら開催出来ないと思いますよ。ていうか、全国のフェスは開催出来ないと思います。完全に悪い印象がついてしまった。その印象がついたのは何が原因か、というのは改めて言うのも愚弄なので言いませんが、お前らのせいで音楽は死ぬんだぜ。自覚してくれ。

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終いには酒持ち込み。まあフジロック側が荷物検査をちゃんとやってないのもあるんですが、散々酒の持ち込みは禁止とか言われている中、持ち込む奴が悪いに決まってるじゃないですか。フジロック側に責任を全て押し付けるのは何か違う気がしますね。あとお前は居酒屋行けマジ。野外で飲みたいならビアガーデン行け。そして酒飲みすぎて記憶無くして、朝起きたらブサイクな知らない異性が横に寝ててくれ。頼む。

 

まあ何が言いたいかっていうと、フェスの主催者側はファンを信じて敢えて強制力は無い、出来る限りの感染対策をしているが、フェスを観に来た人間が全てをぶち壊した。なので、今後のイベント運営にも悪影響が出て、徐々に音楽シーンは死んでいく。参加者はそれを自覚して生きてくださいね。ってことです。

 

だからフェスって嫌いなんすよ。はい。

 

元ゆるめるモ!のあの(ano)の「F Wonderful World」をYouTubeで聴いた話

お久しぶりです。久しぶりに音楽ブログを更新させようと思い、この記事を書いております。

いやあの、別に音楽に興味がなくなったとか、飽きたとかでは無いです。Twitterを見てくれてる方なら分かりますが、他に文章を書く趣味が出来てしまい、この音楽ブログを更新する暇がありませんでした。ていうか、最近の音楽を聴かなすぎて、過去の音楽を掘り下げる記事を書いても、別にみんな興味ないだろうな〜〜〜wwwって感じだったので、更新しなかったのが1番の理由でございます。

 

んで、今回の話はタイトルにある通り。元ゆるめるモ!のあの(ano)の「F Wonderful World」をYouTubeで聴いた話でございます。

 

はっきり言います。

ここからの文章は、あのちゃんファンにとっては悪口に思えるようなものが含まれています。先に弁解しますが、僕は別に批判をしたい訳ではなく、悪口を言いたい訳ではなく、ただの一アイドルオタクの意見です。そこだけは履き違えないで頂きたい。よろしくお願いします。

 

さて、弁解したからボコボコ言っていいですね。いやまあ、一応このことはTwitterの別アカウントでも発言したことを、細かく書く記事ですので、まあ良いでしょう。はい。おっけー。

 

 

こちらをご覧ください。

この映像はゆるめるモ!のライブ映像でございます。

 

ゆるめるモ!というグループが世間に知れ渡った(実際はアイドルの中では伸びてる方ではあったし、あのはZipperのモデルもしてたので元々有名だったが)のは、確か2016年、Twitter上で福岡のローカルアイドルの「Rev.from DVL」の橋本環奈の奇跡の一枚、と評された写真がTwitter上でバズったことから始まりました。んで、それと対比して、あのの写真もTwitterにアップされ、天使と悪魔の最終決戦wwwwwwみたいに言われ始めたことだと思います。

元々僕もゆるめるモ!自体の名前は勿論知っていましたが、メンバーは別に知らず、曲もそこまでガチで聴いてはいませんでした。しかし、Twitterでバズったことによって「乗るしかねえ、このビッグウェーブに」的な感じで、MVやライブ映像を見始めました。

そのライブ映像を見た感想ですが、別に曲良くなくね?っていうのが第一印象。でも、あのを始めとした、ようなぴなどのメンバーのカリスマ性、そしてステージ上でのパフォーマンスは抜き出てんなって思いました。

その頃、アイドルといえばAKBがまだまだ席巻していて、世間のアイドルのイメージはAKBだったと思います。所謂元気や笑顔を売りにする、アイドルらしいアイドル。しかし、この頃あたりから負の感情だったり、自分の思いを赤裸々に歌ったようなアイドルが出てきて、その中の一つがゆるめるモ!だったと思います。実際、衝撃があったんじゃないですかね。ステージの上では、常に笑顔ではなく、感情を曝け出したパフォーマンス。僕はそれが最高に好きでした。アイドルオタクになったのも、その理由です。

 

で、色々写真集やらを発売し、モデルを務めるなど多彩な活動をしている中、確か2019年、あのがゆるめるモ!から脱退しました。

Twitter上では「モ!終わったな」とか言われてましたが、確かにその通りだとは思いました。別に他メンバーをディスる訳ではないですが、あののカリスマ性で成り立っていた、と言っても過言ではないようなグループになってしまっていた(実際SNSのフォロワーは断トツだったし、メディア露出もあの中心だった)ので、まあそう思われても仕方ないんじゃないかな、って思いました。グループの人気を上げる為には仕方ないですが、人気のメンバーをプッシュするのは何らおかしい事ではないです。(例えばAKBでもセンターという立ち位置を作りプッシュしていた) これは戦略的には成功か失敗か、という議論は不毛なのでしないですが、あのが脱退した事によるゆるめるモ!の人気はどうなるのだろうか、とは思いました。でも固定ファンは離れず、人気は絶頂期と比べたら落ちますが、第一線で活動しているのは素晴らしいと思います。これからも陰ながら応援はしています。

 

で、ここからが本題です。

2020年、あのが「ano」という名義で音楽活動を始めました。その頃はふーん、って思ってただけなのですが、最近になって、anoの新曲が中毒性がある、とネットニュースになっていたので、見てみることにしました。

 

 

はい、これです。

はっきり言いますね。

 

何このクソ曲?

 

これでもオブラートに包みました。

包みまないで言いますか?

 

何この若い女受けしそうな、個性出した振りして全く何も感じない曲?

 

叩くなら叩いていいです。これが僕の意見です。

 

細かく言うと、メロディは電子音を取り入れた流行りの意味分からん感じなんだけど、リリックがゴミです。一切何を言いたいか、伝えたいか、個性を出したいのか分からない。

 

一応サビの歌詞を見ておきましょう。

 

脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳と生きたお嬢ちゃん

塀塀塀塀塀塀塀塀塀塀の中のお嬢ちゃん

NONONONONONONONONONOと言える僕になって

クソみたいな世界ぶっ壊して作ろう

クソみたいな世界ぶっ壊して作ろう

 

多分脳と塀とNOで合わせてる感じがするっていうか、絶対そうなんだけど、言葉遊びのレベルが低すぎる。やるならもっと韻踏んだ歌詞書いてくれって感じ。あとその後の、クソみたいな世界ぶっ壊して作ろう、って言葉も陳腐。そんな感じのセリフはチバユウスケが散々言ってる。

 

で、調べてみると、作曲は井上拓さんっていうゲーム音楽とかアイマスの曲の作曲とかしてる凄いお方。確かにあんなメロディは常人には思いつかねえ。しかし、作詞はあの。

 

そりゃそうなるわ。って感じです。

 

アイドル全般に言う訳では無いんですけど、アイドルや元アイドルが自分で作詞したり文章書くのはマジでやめた方が良い、と思っています。まあ歌詞書くの上手いアイドルもいますし、全員に言ってる訳ではないです。多分そういうのは何回もプロデューサーや作曲してくれた方と何度も打ち合わせを重ねて重ねて重ねまくって生まれた詞だと思っていますが。で、今回のanoの曲、全部自分でプロデュース、というか自分の思った通りに作ったんじゃないかなって思います。インタビュー記事の中で「曲げられないことは曲げたくない」と発言しているので、自分の理想を曲にして突き詰めているんでしょう。

 

僕はアイドルに対して「偶像」というイメージを常に持っています。それはオタクが崇拝する意味と同時に、アイドルをする中で、グループの中のイメージの中で表現をする、つまり他人が決めた表現をステージ上で表現する、というプロデュース側の偶像、という意味を持ち合わせていると思っています。

あのが所属していたゆるめるモ!は、圧倒的なカリスマ性とパフォーマンスだった、と前に書きましたが、ステージを見ていたオタクからしたら、確実にそのイメージと曲の雰囲気を想起させるはずです。それはグループの中の一員としてのイメージです。そこで脱退して急に自分のやりたい事をやり出した場合、元々あのしか見てなかった方、そこまでグループ活動時代を知らなかった方からしたら「あのちゃんがやりたい事をしているから応援しなきゃ!」となります。しかし、そのグループの中の一員としてのイメージが好きで、残像が残っているオタクにしたら「そうじゃねえんだよな……」ってなるはずです。僕がその中の一人です。

だから、自分の感情をグループ内から文章として書いていないアイドルが、急にソロ活動して作詞をすると、詞が陳腐に感じてしまう、という意見ですね。

 

多分「あのちゃんは元々音楽が好きだった!適当言うな!」って言われるかもしれませんが、音楽を聴いたからといって作詞の技術が上がる訳ないです。ちょっと違うかもですが、カレーが好きで、ほぼ毎日カレーを食べたからと言って、カレーを作る技術が上がりますか?上がらないでしょ?感性は確かに上がります。簡単にカレーで例えるとグルメになります。しかし技術は一切上がりません。俺も音楽やアイドルが好きで十何年も聴いていますが、作詞とか絶対出来ません。無理です。そもそも、普通の人間が作詞をするには語彙力が足りない。韻を踏む能力が足りない。

 

確かにあのはカリスマ性はヤバいです。あのの真似をする女の子、通称あのギャなんて言葉も出来ているくらいです。少し話は変わりますが、好きな女の子を真似して可愛くなろうとしている女の子に通称を付けるのは、何か馬鹿にしている感じでめちゃくちゃ嫌いです。

話を戻すと、カリスマ性は本当にヤバいです。発言一つ一つが影響力を持つほどです。しかし、これは言いたい。文章を書く才能は一切無い。

ソロ活動をするな、と言っている訳では無いです。作詞はプロにイメージを伝えて作らせた方が絶対良い、って事です。伝えたい事はこの言葉に収束しています。

 

少し話は大きくなりますが、最近の音楽のトレンドとして、サウンドに力を入れている傾向があります。変拍子を取り入れたり、意味分からない変調を繰り返したりなど、工夫を凝らしている印象を受けますね。

しかし、詞の部分に関しては、軽視されている印象を受けます。実際に軽視している訳ではないかもしれませんが、簡単に言うと、サウンドを作る才能はあるけど、語彙力が一切無い人間が曲を作りがち、そしてそれがバズりがち、って事です。正直、これは文章好きな人間からしたら、めちゃくちゃ悲しいです。

 

英語の曲だと、日本語に訳せば単調になるし、勿論俺の知らないところで韻踏んだり、母音を合わせたりなど、色々していると思います。しかし、日本人として生まれた以上、日本語特有の表現、多彩な言葉遊び、というものをもう少し活用するべきだと思うんです。例えば「〇〇のような」とか「〇〇みたい」って直喩って言うんですけど、そう言った表現は英語でも見られます。しかし、隠喩という「〇〇のようだ」という言葉を使わない比喩表現は、英語圏に比べて日本語は多彩です。面白いのは、「私は名曲を心ゆくまで味わった」という表現では、「味わった」は本来隠喩です。しかし、現在では使用が一般化して隠喩とは感じられず、隠喩としては「死んだ隠喩」 となります。それによって「味わう」という語の意味を広くしています。こういった遊びは日本語特有です。

この事を意識せず使っている人が大多数だとは思いますが、意識して詞や文章を作ると、グッと深みが増す印象を受けやすいです。詞をガチで作る方は多分知っていると思いますが、隠喩表現を考えるとめちゃくちゃ面白くなるのでご参考に。

 

んで、こういう事をめちゃくちゃしてるのがヒップホップです。ちょっと前に、アルバムの中の一曲にヒップホップを取り入れた曲を混ぜるのが流行りました。このブログでも取り上げましたね。中にはヒップホップやポエトリー主体の音楽をするバンドも出てきましたが、正直一瞬で廃れました。何故かって言うと、メロディが単調になりやすいからです。ポエトリーのジャンルでも、簡単な繰り返しのビートに乗せる、というものが多く、この現代のメロディを凝る時代、俺は勝手にメロ主体時代って感じてますが、この時代の中で生き残るのはめちゃくちゃ難しかったんですね。そのバンド自体がヒップホップを取り入れるのをやめた、もしくはファンが離れた。だから廃れた。そんな流れです。今そういう事を意味分からないメロディに乗せて逆にやってるのがボカロ界隈です。実際、そっちの方が聴いていて面白みを感じます。ボカロPからの楽曲提供が増えてきたのは僕にとっては最高に嬉しいですね。

 

人の感性というのは人それぞれです。なので、別に今のトレンドの曲を僕は否定しないし、そんな曲を好きな人も否定しません。みんな好きな曲を聴けばいいと思います。しかし、僕の中では、もう少し詞も重視した方がいいんじゃないかなって思いますね。

 

で、あのの曲に戻ります。「F Wonderful World」は、メロディを重視しプロに任せたのに、作詞をグループの中で文章をそこまで書かなかったアイドルに任せるという、俺の中では中途半端なものだと思います。そのせいで、詞から何も感じない。メロディが強すぎて。もし自分で作りたいなら、弾き語りの曲を作るべきだと思います。前のソロ曲では、アコギを手にして歌ってたし、その路線で何故行かなかったのかが疑問ですね。それか、好きな曲のカバーアルバムって手もあります。少しアレンジして、あのの歌声で歌えば、普通に良いものになるんじゃない?って感じです。ファンからしても、好きな曲を知れるし、WIN-WINじゃないかなって思いますね。

 

でも確かに、今回の曲は今の若者の女の子にウケる曲です。ターゲットを絞った、と言ったらいいんですかね。でも既存のグループのあのが好きだったオタクからしたら、少し違うものになって、離れるか、無理矢理聴くか、の二択に迫られると思います。それがアイドルとしての自分ではなく自分自身を見てほしい、だからターゲットを絞った曲を今出した、という作戦の上でやってたら相当策士です。やべえと思います。

 

まあ色々言いましたが、実際カリスマ性やビジュアルはダンチなので、それを利用して、これからどういった活動をするのかは楽しみです。でも今回の曲は二度と聴きません。

 

オタクの一人語りでした。

おわり。

新生"ヒトリエ"の前に進む覚悟

SLEEPWALK / ヒトリエ

 

当時の僕は、このMVを見て「次のヒトリエの新曲が楽しみだなぁ」と考えていた。しかし、ヒトリエのフロントマン、wowakaはこのMVの公開の1ヶ月後、2019年4月5日に亡くなった。僕たちボカロ全盛期で育った人間には、wowakaが亡くなったということが信じられない出来事だったのだ。「裏表ラバーズ」、「ワールズエンド・ダンスホール」など、数々の名作を打ち出したwowaka、多分影響された人間は数少なくない。それほど偉大であって、影響力の高い人間が亡くなるということは、数少なからず悲しんだ人たちは多いだろう。

 

そんな悲しみが続く中、ヒトリエは2020年8月19日にベストアルバム「4」を発売した。その音源を聴くと流れてくるのはwowakaの歌声。はっきり言うと、「ああ、wowakaは死んだんだな」と再認識してしまったベストアルバムだったように感じてしまったのだ。

 

curved edge / ヒトリエ

 

そして、2020年12月7日、ヒトリエがデジタルシングル「curved edge」をリリースし、そのMVの公開とYouTubeでのオンラインライブ「HITORI-ESCAPE 2020」を行った。

正直言って、ヒトリエは新曲を出さないものだと思っていた。解散はしないと宣言した彼らを信用していなかったわけではない、「ヒトリエの新曲」がまるで想像できなかったというのが正確なところなのだ。

ベストアルバム「4」の特典映像でwowakaが歌い踊り奏でる音、4人のヒトリエが奏でる音。その後にあったオンラインライブで3人のヒトリエが奏でる音。そこにはどうしようもなく隔たりが、違和感が、もっといえば喪失感があった。ライブステージの真ん中は空いたままで、スリーピースの音が響く。僕もこのオンラインライブを視聴させてもらっていたのだが、楽しいライブではあった。しかし、僕は長らく、そこに4人のヒトリエがいたら、と縋り続けていたのだ。

 

だから、ヒトリエが新曲を出します!ってなった時には、驚きと同時に不信感も生まれてしまった。スリーピースに感じる違和感は、逆に言えば「wowaka」という1人がそこにいたことの証明でもあったと思うのだ。それを失ってしまう、というのが、恐怖であり、不信感であったと感じてしまった。

 

この「curved edge」を意として聴いてみると、格好がいいイントロ、早い節回し、好きな曲であると断言できる完成度。ただ、何度聞いても、「wowaka」が作った曲とはフレーズも歌詞も決定的に違ったと思う。断言してしまうが、wowakaの曲ではない。wowaka風に作ったとも思えない。これは、ヒトリエとして前に進むための曲なのだ。

 

ほらbring it back to me、不自由な心
ただならなくて、ままならなくて 何かちょっとヤな感じ
君ならどうすんの、駄作と解っても
消え去りたくない、壊されたくない
ほら面倒臭いね 帳消しにしちゃいたいね

 

wowaka作詞の既存曲よりも直接的なシノダの歌詞からは、wowakaというあまりに大きな存在が消えたことに対する苦悩も不安も悲しみも感じる。

 

こんなクソみたいな現実見させられてもまだ尚、
僕ら不健全な瞬間に飢えて飢えて仕方無いのさ
やめられやしないね、もう戻れやしないね
ほら面倒臭いフレーズ 聴神経に突き刺され

 

しかし、この曲のラストの歌詞からは、ヒトリエとして前に進むしかない、という意味に受け止められるのだ。ヒトリエは止まらないのだな、と、「curved edge」を聴き終えてから思う。

 

今後、wowakaの新曲が出ることはない。故人は何も語らない。天国の彼に、なんて言ってみたって、結局故人は聞く耳も歌う声帯も踊る体も持たない。しかし、wowakaが集めた「ヒトリエ」というメンバーやその楽器は事実としてここにあると思うのだ。

 

wowakaはヒトリエの核だった。あるいは、今も核であるのかもしれない。ヒトリエが「wowakaのバンド」と呼ばれるのをTwitterでたまに目にする。それはwowakaさんという1人の偉大な才能の証明だろうし、仕方のないことなのかもしれない。3人のヒトリエは、4人のヒトリエを越えられないのかもしれない。正直言って、wowaka作成の「ワンミーツハー」や、「トーキーダンス」と比べてしまうと、そこまでの曲とは思えないのだ。それは顕著にMVの再生数が物語っていて、「ワンツーミーハー」の再生数は376万回再生に対して、「curved edge」の再生数は19万回再生しかされていない。

 

しかし、ヒトリエは前に進むことを決めたのだ。それを僕は積極的に応援していこうと思う。僕はこの「curved edge」を聴いてそう思った。MVの再生数が伸びなくたって、前に進む覚悟を決めたヒトリエに対して背中を押してあげたい。そう思うのは普通の感情なのではなかろうか。

 

wowaka亡き今、かつて好きだったヒトリエではなく、ヒトリエが活動を続けてくれるということで、今も好きなバンドとして、曲を聴けるのだ。それは大変喜ばしいことで、今後も期待できるバンドであると思う。

 

ヒトリエは2021年2月17日に、新アルバム「REAMP」を発売した。僕は忙しくてまだ聴けていないが、ヒトリエの「前に進む覚悟」を見せつけてくれるアルバムになっているのだと思う。

 

それでは。

 

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  • アーティスト:ヒトリエ
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「ヨルシカ」「YOASOBI」「ずっと真夜中でいいのに。」の違いが分からない人向けの記事

最近暇すぎてTwitterしか見てないんですけど、今日こんなツイートを見かけたんです。

 

「夜に駆けるってヨルシカだと思ってたらYOASOBIだった」

 

お前俺が範馬勇次郎じゃなくてよかったなぁ!!!!そのダセー鼓膜両手でパァン!ってやってぶち破るぞ!!!!オラァ!!!

ってリプしたかったけどやめました。はい。

 

とは言うものの、この「ヨルシカ」「YOASOBI」「ずっと真夜中でいいのに。」の3グループに共通する点が多い。

まず女性ボーカルであること、アニメ調のMVが主体、ネット発のグループ、匿名性が高い……なんて色々出てくる。実際友人で話してる時でも「ずっと真夜中でいいのに。?あぁ、アレね、夜に駆けるね」って言われることも様々で、聞き分けられない人は多数いると思う。どっかのブログで見たんですけど、日本人はボーカル偏重で音楽を聴く傾向にあって、洋楽ですら日本でヒットする曲はサビがちゃんとあるボーカルありきの曲なんですよね。だから、この3グループは女性ボーカルでネット発でって時点で多分違いが分からない人が多いんだと思うんです。

多分渋谷のギャルに「この3グループの違い分かりますか?」ってアンケート取ったら「あーし分かんないw」とか言う。絶対言う。だから将来メンヘラ男と付き合って21歳くらいで結婚して3ヶ月で離婚するんだよテメー。ちなみに下北沢でアンケート取ると「わかって当然でしょw」とか言いながら間違います。勝手な下北沢のイメージですけど、音楽に精通してるふりして音楽を違法ダウンロードして聴いてる奴が多いです。これマジです。

 

さて本題に戻ると、この3グループの違いって何?ってことです。簡単に言うと、表現方法というか、曲を通して伝えたいことが全く違うという点だなと俺は思うんです。

 

だから僕は音楽を辞めた / ヨルシカ

 

ヨルシカの曲を聴いていると、何か情景を浮かばせるような気がするのだ。それは、物語調の歌詞で描写を丁寧に行うからだと思う。また、ヨルシカの歌詞は男性目線の歌詞の曲もあるし、女性目線の歌詞の曲もあるというのも大きなポイントかもしれない。別に中性的な声ではないけれども、透明感のある歌声で、男性目線の曲を歌えるというのが、物凄い点であるな、と感じるのだ。この例を出せばクリープハイプ。もちろん男性目線の曲も多いのだが、左耳っていう曲みたいに女性目線の曲も書ける。実際これは凄いことであって、自分が体験した出来事を曲にするのは比較的簡単かもしれないが、反対の性の気持ちを曲にして共感されて売れてしまうというのは並大抵のセンスじゃ無理。そのおかげで、楽曲の中にある景色が、より解像度が高く蘇るのかな、なんて思うのだ。簡単に言うと「物語性が高い」ってことである。ヨルシカは楽曲を通して、情景や物語を伝えている、ということなのだ。

 

群青 / YOASOBI

 

YOASOBIに関しては、正直紅白にもMステにも出演して、知ってる人の割合は物凄く多い。小説を音楽で表現するために結成されたユニットであることはもう有名になってしまったし、再生回数を伸ばし続け、SpotifyやLINE MUSICなど様々な音楽配信サイト、Billboard JAPAN Hot 100で1位を獲得するなど偉業を成し遂げているやべえグループなのは間違いない。

そして、楽曲を聴いていると先程のヨルシカとの違いが明確に分かる。ヨルシカのサウンドはどちらかというと、本物のバンドサウンドっぽさを感じるのだとしたら、YOASOBIは徹底的に打ち込み的なサウンドを感じるのだ。トラック的なサウンドとでも言うのだろうか。そのサウンドに、ボーカルのikuraの少し単調な歌声がフィットする。そんなサウンドとボーカルが、「小説を表現する」という命題に対して、物凄くマッチするのだ。

 

お勉強しといてよ / ずっと真夜中でいいのに。

 

ヨルシカやYOASOBIと比べてずっと真夜中でいいのに。は物語性を前面に押し出して表現しているわけではないが、これまで発表したMVは全てアニメーションで、歌詞の表現をもとに細かい意匠まで作り込まれている。

この「お勉強しといてよ」では、跳ねるリズムにテクニカルなベースフレーズ、小気味よく移り変わる曲調が特徴。ずっと真夜中でいいのに。の音楽性については、ボカロカルチャーだけでなく、パスピエゲスの極み乙女。以降とも言えるプログレッシヴなJ-POPの系譜にも位置づけることができるのだ。つまり、ボカロカルチャーとJ-POPの融合である。コード進行に関しても、あいみょんの愛を伝えたいだとかや、シャルルとか、Eveの曲のコード進行に使われてるのと同じ。今バズってる音楽に沿って作られたもんだからバズるに決まってる。しかし、言葉選びであったり、MVのテイストには一貫性をもたせるというところがずっと真夜中でいいのに。の凄いところであって、物凄くテクニカルであるな、と思うのだ。

 

という訳で3グループを簡単に紹介しましたが、この3グループの違いはお分かりいただけただろうか。俺が思うに、実際似てる似てる詐欺して全然似てません。しかし、Twitterではこの3グループが好きなサブカルナオンが「#夜行性」だかなんか意味わからないタグをつけてTwitterで発信するもんだから、似てる似てる詐欺が起きるんです。もし、こんだけ解説して、「えー、全然違いわかんなーいw」って言う人がいたら #夜行性 っていうタグ作った人に文句言ってください。似てると思い込んでしまったのはそいつらのせいです。

 

では、また。

 

 

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グランジミュージックと邦楽ロックシーンの融合「w.o.d.」

こんにちは。12月23日に誕生日を迎えて25歳になってしまいました、まちゅと申します。どうも。今年の抱負ですか?ロリ巨乳の彼女を作ることです。どうでもいいですね。はい。

 

最近ガールズバーに行って「もう誕生日迎えたら25歳になってしまうんですよ〜〜〜ええ〜〜〜」なんて話してたら「25歳なんて若いですよ」なんて女の子に気を使われました。いやね、四捨五入すればアラサーですよ?何事も若い方がいい。そう、音楽シーンもそう。例えばMrs. GREEN APPLEがStaRtって曲を出したときなんて、ボーカルの大森くん、18歳ですよ?そしてネットでバズりにバズり散らかした崎山蒼志くんなんて、バラエティ番組に出て五月雨歌ったとき15歳ですよ?若い時からその才能を突出させたら「その若いシンガーやバンドマンは天性の才能を持っている!」と記者共は大騒ぎ。バズりたいなら若いうちから何事も取り組んだ方がいい。そういう話です。

 

いや今回別にそういう話をしにブログ書いている訳じゃないんですけど、最近YouTubeとか音楽ブログ見て、若くて新進気鋭なバンドを探すのが趣味になってきているんですけど、たまたま見つけたバンド、「w.o.d.」。これが良かった。まず聴いてほしい。話すのはそれからだ。

 

Manday / w.o.d.

 

このバンド、2009年に結成されてるんですけど、結成2年後の2011年には、音楽専門学校主催する、高校生アーティストを対象とした「OSM HIGH SCHOOL MUSIC CAMP」で神戸地区大会最優秀賞を獲得。その後、「RO69JACK 2015」では入賞を獲得し、翌年に行われた「出れんの!?サマソニ!? 」では、応募総数3400組の中から見事グランプリに選ばれ、「SUMMER SONIC」への出場権を獲得。さらに2019年に東阪2都市で行われたワンマンツアーではソールドアウトを記録するなど華々しい経歴のバンドであることは間違いない。

 

このw.o.d.がよく他の音楽ブログで言われていることが、「日本のグランジミュージックの新星」と言われていることが多い。グランジミュージックってなんだよ、って言ってくるベロベロに酔った俺のIQと同程度の知能を持った邦楽ロックファンもどき女もこのブログを見ていることかもしれないので一応説明しておくと、

グランジの音楽的な最大の特徴は、パンク・ロックのような簡素で性急なビートと、ハード・ロックのようなリフ主体の楽曲構造とが融合されていることである。」はい。wikiさんありがとうございます。多分文章読んでも分かりませんね。

 

Smells Like Teen SpiritNirvana

 

はい。これがグランジミュージックです。お分かり頂けましたか?まあこんな感じです。雰囲気さえお分かりいただけたらいいのです。

実際俺はグランジミュージックが好きで、Nirvanaも好きなんですけど、Puddle Of Muddがかなり好きで高校からずっと聴いておりまして、2000年代にグランジミュージックが台頭していた時の音楽がかなり好きなんですよね。何で好きなのかって考えてみると、Nirvanaが築き上げたグランジミュージックを今現代風にハードコア的なアプローチ、もしくはインディーロック的なアプローチで再構築された新しいグランジミュージックが素晴らしく完成度が上がっているのでは?って思うからなんです。難しい言葉で言えば多文脈性とでも言うんですかね。それによる音楽の化学反応。それが今のグランジミュージックの素晴らしさだと思います。

 

で、話をw.o.d.に戻すと、Nirvana好きな人なら分かると思うんですけど、カートコバーンの掠れ声に似てる節がある。それがめちゃくちゃカッコいい。え?キチンと解説しろ?いやだってカッコいいんだもん。それ以外何を言えばいいんだ。お前はいい寿司屋で出てきた寿司に対して「シャリの酢の酸味とネタのバランスが良く……」って大将に言うか?言わねえだろ?カッコいいんだもん。俺声楽のプロじゃないし。でも、確実にカートコバーンを意識している感じはあるし、去年出したアルバムと曲に「1994」っていうのがあるんです。この1994年ってメンバーが生まれた年でもあるけども、カートコバーンが亡くなった年でもあるんです。このアルバムと曲は、哀悼の意を込めた、リスペクトしたアルバムと曲になっているのは確かなんだと思っている。

 

1994 / w.o.d.

 

このバンド、ボーカルもいいんですけど演奏隊の技術も凄まじい。ギターとドラムとベースの音がまとまっている感覚がするというか、3ピースバンドとは思えない演奏の爆発力を感じざるを得ない。めちゃくちゃ簡単に言いましょうか?音がカッコいいんです。この単純な「音がカッコいい」という特徴がグランジミュージックのいいところで、ギター、ベース、ドラムの本来の音のカッコよさが伝わるんですね。はい。

 

本人のインタビューに書いていたんですけど、「兄ちゃんがBUMP OF CHICKENをよく聴いていたのでその影響で俺も小学校5年生、6年生のときに聴き出しました。そもそもギター始めたのも、俺が小6くらいの時に兄ちゃんがエレキギターを買ってきて、それを触らせてもらったのがきっかけで。」って言っていて、これがw.o.d.のフロントマン、サイトウの原点になっている。Nirvanaのカートコバーンを意識しつつも、現代音楽、本人はBUMPと言っているけども、その繊細な邦楽ロックシーンと融合して今のw.o.d.は存在しているのだと思う。

 

冒頭でも言ったと思うが、俺はNirvanaが築き上げたグランジミュージックを今現代風に再構築した音楽が大好きで、日本の邦楽ロックシーンとグランジミュージックが融合した、このw.o.d.というバンドに惹かれたんだと思っている。たまたま見た音楽ブログの管理人さんには感謝している。あざす。

 

今日も夜中は長い。w.o.d.の曲を聴きつつ、他の新進気鋭なバンドを探してみようかなと思う深夜1時半でした。ご視聴ありがとうございます。では。

 

1994

1994

  • アーティスト:w.o.d.
  • 発売日: 2019/09/11
  • メディア: CD