煙草の煙が目に染みる

感情の垂れ流しが、目に、心に染みるように。

榎本りょう『crawl』MV 短文感想レポ

 

榎本りょうの『crawl』のMVが公開された。

 

この曲は3/17にサブスクリプションにて公開された楽曲で、気付いた時には配信されていた、なんて楽曲だった。

 

そんな海の波のように突然現れたような楽曲ではあったが、ただその波は静かであり、『動く』という生を感じることが出来るような、人間を感じることが出来るような、そんな楽曲だった。『静と動』というよりは、『静と生』という、"sei"の関係性を覚えたのだった。

 

そして本日MVが公開されるということで、プレミアム公開で視聴した。

 

視聴し終わった第一印象を挙げるとするならば、『儚さ』を感じた。今風に言えば『エモーショナル』だろうか。ただ、僕はそのような簡潔な言葉で物事を表すのは好きではない。なので、その『儚さ』の正体をこれからの文章を書きながら考察していきたい。

 

まず、一目置くのはメロの間に流れる歌詞の文章である。その歌詞の文章が出るタイミングはサビ入りのタイミングの1つ前のリズムに合わせたタイミングで現れたりと不規則であった。また、水色を基調とした背景に白文字という、視覚的色彩的に視認しづらい表現をしている。その不規則と視認のしづらさが不完全さという人間の表現であるのか、と感じることが出来た。

 

次に前述した歌詞の文章を考えてみる。

考えるにあたって改めて歌詞を眺めていると、表現的には「暗いところから光へ泳ぐ」という感覚を得た。ただ、MVを見ると昼という時間帯から夕方や夜の時間帯の表現が増えるという、『昼から夜に向かう』という感覚を得たのだ。それは歌詞とは真逆と言っていい。その対比は感情と行動の対比なのかもしれないし、予想は色々可能だ。ただそれは本人しか分かり得ない対比や葛藤なのかもしれないし、僕たちがその一片を感じることが出来るのは幸せなのだ、と思った。

 

つまり、前述した『儚さ』や『エモーショナル』は、人間の葛藤と感情の表現を感じれたことによる幸せなのだと思う。

 

僕は、MVにドラマチックなことをするのが嫌いである。MVは本人が表現するべきだし、他人の表現を使うべきではない。なので、ロックバンドは演奏だけのMVが好きだし、女の子が出てくる、なんてことは嫌いである。

今回のMVは榎本りょうが基調とし、身内である妹が監修したものとなっている。これは、全てが本人の中で出来上がり、考え、表現したものとなっており、本人の一片を感じることが出来たと思うのだ。それもエモーショナル、なのだと思う。

 

最後に。

僕は最初に"sei"の関係性と言った。

seiはシワン語で「詩」である。

 

この曲は、榎本りょうの「静と生」の詩なのかもしれない。

 

crawl

crawl

  • 榎本りょう
  • J-Pop
  • ¥255