煙草の煙が目に染みる

感情の垂れ流しが、目に、心に染みるように。

元ゆるめるモ!のあの(ano)の「F Wonderful World」をYouTubeで聴いた話

お久しぶりです。久しぶりに音楽ブログを更新させようと思い、この記事を書いております。

いやあの、別に音楽に興味がなくなったとか、飽きたとかでは無いです。Twitterを見てくれてる方なら分かりますが、他に文章を書く趣味が出来てしまい、この音楽ブログを更新する暇がありませんでした。ていうか、最近の音楽を聴かなすぎて、過去の音楽を掘り下げる記事を書いても、別にみんな興味ないだろうな〜〜〜wwwって感じだったので、更新しなかったのが1番の理由でございます。

 

んで、今回の話はタイトルにある通り。元ゆるめるモ!のあの(ano)の「F Wonderful World」をYouTubeで聴いた話でございます。

 

はっきり言います。

ここからの文章は、あのちゃんファンにとっては悪口に思えるようなものが含まれています。先に弁解しますが、僕は別に批判をしたい訳ではなく、悪口を言いたい訳ではなく、ただの一アイドルオタクの意見です。そこだけは履き違えないで頂きたい。よろしくお願いします。

 

さて、弁解したからボコボコ言っていいですね。いやまあ、一応このことはTwitterの別アカウントでも発言したことを、細かく書く記事ですので、まあ良いでしょう。はい。おっけー。

 

 

こちらをご覧ください。

この映像はゆるめるモ!のライブ映像でございます。

 

ゆるめるモ!というグループが世間に知れ渡った(実際はアイドルの中では伸びてる方ではあったし、あのはZipperのモデルもしてたので元々有名だったが)のは、確か2016年、Twitter上で福岡のローカルアイドルの「Rev.from DVL」の橋本環奈の奇跡の一枚、と評された写真がTwitter上でバズったことから始まりました。んで、それと対比して、あのの写真もTwitterにアップされ、天使と悪魔の最終決戦wwwwwwみたいに言われ始めたことだと思います。

元々僕もゆるめるモ!自体の名前は勿論知っていましたが、メンバーは別に知らず、曲もそこまでガチで聴いてはいませんでした。しかし、Twitterでバズったことによって「乗るしかねえ、このビッグウェーブに」的な感じで、MVやライブ映像を見始めました。

そのライブ映像を見た感想ですが、別に曲良くなくね?っていうのが第一印象。でも、あのを始めとした、ようなぴなどのメンバーのカリスマ性、そしてステージ上でのパフォーマンスは抜き出てんなって思いました。

その頃、アイドルといえばAKBがまだまだ席巻していて、世間のアイドルのイメージはAKBだったと思います。所謂元気や笑顔を売りにする、アイドルらしいアイドル。しかし、この頃あたりから負の感情だったり、自分の思いを赤裸々に歌ったようなアイドルが出てきて、その中の一つがゆるめるモ!だったと思います。実際、衝撃があったんじゃないですかね。ステージの上では、常に笑顔ではなく、感情を曝け出したパフォーマンス。僕はそれが最高に好きでした。アイドルオタクになったのも、その理由です。

 

で、色々写真集やらを発売し、モデルを務めるなど多彩な活動をしている中、確か2019年、あのがゆるめるモ!から脱退しました。

Twitter上では「モ!終わったな」とか言われてましたが、確かにその通りだとは思いました。別に他メンバーをディスる訳ではないですが、あののカリスマ性で成り立っていた、と言っても過言ではないようなグループになってしまっていた(実際SNSのフォロワーは断トツだったし、メディア露出もあの中心だった)ので、まあそう思われても仕方ないんじゃないかな、って思いました。グループの人気を上げる為には仕方ないですが、人気のメンバーをプッシュするのは何らおかしい事ではないです。(例えばAKBでもセンターという立ち位置を作りプッシュしていた) これは戦略的には成功か失敗か、という議論は不毛なのでしないですが、あのが脱退した事によるゆるめるモ!の人気はどうなるのだろうか、とは思いました。でも固定ファンは離れず、人気は絶頂期と比べたら落ちますが、第一線で活動しているのは素晴らしいと思います。これからも陰ながら応援はしています。

 

で、ここからが本題です。

2020年、あのが「ano」という名義で音楽活動を始めました。その頃はふーん、って思ってただけなのですが、最近になって、anoの新曲が中毒性がある、とネットニュースになっていたので、見てみることにしました。

 

 

はい、これです。

はっきり言いますね。

 

何このクソ曲?

 

これでもオブラートに包みました。

包みまないで言いますか?

 

何この若い女受けしそうな、個性出した振りして全く何も感じない曲?

 

叩くなら叩いていいです。これが僕の意見です。

 

細かく言うと、メロディは電子音を取り入れた流行りの意味分からん感じなんだけど、リリックがゴミです。一切何を言いたいか、伝えたいか、個性を出したいのか分からない。

 

一応サビの歌詞を見ておきましょう。

 

脳脳脳脳脳脳脳脳脳脳と生きたお嬢ちゃん

塀塀塀塀塀塀塀塀塀塀の中のお嬢ちゃん

NONONONONONONONONONOと言える僕になって

クソみたいな世界ぶっ壊して作ろう

クソみたいな世界ぶっ壊して作ろう

 

多分脳と塀とNOで合わせてる感じがするっていうか、絶対そうなんだけど、言葉遊びのレベルが低すぎる。やるならもっと韻踏んだ歌詞書いてくれって感じ。あとその後の、クソみたいな世界ぶっ壊して作ろう、って言葉も陳腐。そんな感じのセリフはチバユウスケが散々言ってる。

 

で、調べてみると、作曲は井上拓さんっていうゲーム音楽とかアイマスの曲の作曲とかしてる凄いお方。確かにあんなメロディは常人には思いつかねえ。しかし、作詞はあの。

 

そりゃそうなるわ。って感じです。

 

アイドル全般に言う訳では無いんですけど、アイドルや元アイドルが自分で作詞したり文章書くのはマジでやめた方が良い、と思っています。まあ歌詞書くの上手いアイドルもいますし、全員に言ってる訳ではないです。多分そういうのは何回もプロデューサーや作曲してくれた方と何度も打ち合わせを重ねて重ねて重ねまくって生まれた詞だと思っていますが。で、今回のanoの曲、全部自分でプロデュース、というか自分の思った通りに作ったんじゃないかなって思います。インタビュー記事の中で「曲げられないことは曲げたくない」と発言しているので、自分の理想を曲にして突き詰めているんでしょう。

 

僕はアイドルに対して「偶像」というイメージを常に持っています。それはオタクが崇拝する意味と同時に、アイドルをする中で、グループの中のイメージの中で表現をする、つまり他人が決めた表現をステージ上で表現する、というプロデュース側の偶像、という意味を持ち合わせていると思っています。

あのが所属していたゆるめるモ!は、圧倒的なカリスマ性とパフォーマンスだった、と前に書きましたが、ステージを見ていたオタクからしたら、確実にそのイメージと曲の雰囲気を想起させるはずです。それはグループの中の一員としてのイメージです。そこで脱退して急に自分のやりたい事をやり出した場合、元々あのしか見てなかった方、そこまでグループ活動時代を知らなかった方からしたら「あのちゃんがやりたい事をしているから応援しなきゃ!」となります。しかし、そのグループの中の一員としてのイメージが好きで、残像が残っているオタクにしたら「そうじゃねえんだよな……」ってなるはずです。僕がその中の一人です。

だから、自分の感情をグループ内から文章として書いていないアイドルが、急にソロ活動して作詞をすると、詞が陳腐に感じてしまう、という意見ですね。

 

多分「あのちゃんは元々音楽が好きだった!適当言うな!」って言われるかもしれませんが、音楽を聴いたからといって作詞の技術が上がる訳ないです。ちょっと違うかもですが、カレーが好きで、ほぼ毎日カレーを食べたからと言って、カレーを作る技術が上がりますか?上がらないでしょ?感性は確かに上がります。簡単にカレーで例えるとグルメになります。しかし技術は一切上がりません。俺も音楽やアイドルが好きで十何年も聴いていますが、作詞とか絶対出来ません。無理です。そもそも、普通の人間が作詞をするには語彙力が足りない。韻を踏む能力が足りない。

 

確かにあのはカリスマ性はヤバいです。あのの真似をする女の子、通称あのギャなんて言葉も出来ているくらいです。少し話は変わりますが、好きな女の子を真似して可愛くなろうとしている女の子に通称を付けるのは、何か馬鹿にしている感じでめちゃくちゃ嫌いです。

話を戻すと、カリスマ性は本当にヤバいです。発言一つ一つが影響力を持つほどです。しかし、これは言いたい。文章を書く才能は一切無い。

ソロ活動をするな、と言っている訳では無いです。作詞はプロにイメージを伝えて作らせた方が絶対良い、って事です。伝えたい事はこの言葉に収束しています。

 

少し話は大きくなりますが、最近の音楽のトレンドとして、サウンドに力を入れている傾向があります。変拍子を取り入れたり、意味分からない変調を繰り返したりなど、工夫を凝らしている印象を受けますね。

しかし、詞の部分に関しては、軽視されている印象を受けます。実際に軽視している訳ではないかもしれませんが、簡単に言うと、サウンドを作る才能はあるけど、語彙力が一切無い人間が曲を作りがち、そしてそれがバズりがち、って事です。正直、これは文章好きな人間からしたら、めちゃくちゃ悲しいです。

 

英語の曲だと、日本語に訳せば単調になるし、勿論俺の知らないところで韻踏んだり、母音を合わせたりなど、色々していると思います。しかし、日本人として生まれた以上、日本語特有の表現、多彩な言葉遊び、というものをもう少し活用するべきだと思うんです。例えば「〇〇のような」とか「〇〇みたい」って直喩って言うんですけど、そう言った表現は英語でも見られます。しかし、隠喩という「〇〇のようだ」という言葉を使わない比喩表現は、英語圏に比べて日本語は多彩です。面白いのは、「私は名曲を心ゆくまで味わった」という表現では、「味わった」は本来隠喩です。しかし、現在では使用が一般化して隠喩とは感じられず、隠喩としては「死んだ隠喩」 となります。それによって「味わう」という語の意味を広くしています。こういった遊びは日本語特有です。

この事を意識せず使っている人が大多数だとは思いますが、意識して詞や文章を作ると、グッと深みが増す印象を受けやすいです。詞をガチで作る方は多分知っていると思いますが、隠喩表現を考えるとめちゃくちゃ面白くなるのでご参考に。

 

んで、こういう事をめちゃくちゃしてるのがヒップホップです。ちょっと前に、アルバムの中の一曲にヒップホップを取り入れた曲を混ぜるのが流行りました。このブログでも取り上げましたね。中にはヒップホップやポエトリー主体の音楽をするバンドも出てきましたが、正直一瞬で廃れました。何故かって言うと、メロディが単調になりやすいからです。ポエトリーのジャンルでも、簡単な繰り返しのビートに乗せる、というものが多く、この現代のメロディを凝る時代、俺は勝手にメロ主体時代って感じてますが、この時代の中で生き残るのはめちゃくちゃ難しかったんですね。そのバンド自体がヒップホップを取り入れるのをやめた、もしくはファンが離れた。だから廃れた。そんな流れです。今そういう事を意味分からないメロディに乗せて逆にやってるのがボカロ界隈です。実際、そっちの方が聴いていて面白みを感じます。ボカロPからの楽曲提供が増えてきたのは僕にとっては最高に嬉しいですね。

 

人の感性というのは人それぞれです。なので、別に今のトレンドの曲を僕は否定しないし、そんな曲を好きな人も否定しません。みんな好きな曲を聴けばいいと思います。しかし、僕の中では、もう少し詞も重視した方がいいんじゃないかなって思いますね。

 

で、あのの曲に戻ります。「F Wonderful World」は、メロディを重視しプロに任せたのに、作詞をグループの中で文章をそこまで書かなかったアイドルに任せるという、俺の中では中途半端なものだと思います。そのせいで、詞から何も感じない。メロディが強すぎて。もし自分で作りたいなら、弾き語りの曲を作るべきだと思います。前のソロ曲では、アコギを手にして歌ってたし、その路線で何故行かなかったのかが疑問ですね。それか、好きな曲のカバーアルバムって手もあります。少しアレンジして、あのの歌声で歌えば、普通に良いものになるんじゃない?って感じです。ファンからしても、好きな曲を知れるし、WIN-WINじゃないかなって思いますね。

 

でも確かに、今回の曲は今の若者の女の子にウケる曲です。ターゲットを絞った、と言ったらいいんですかね。でも既存のグループのあのが好きだったオタクからしたら、少し違うものになって、離れるか、無理矢理聴くか、の二択に迫られると思います。それがアイドルとしての自分ではなく自分自身を見てほしい、だからターゲットを絞った曲を今出した、という作戦の上でやってたら相当策士です。やべえと思います。

 

まあ色々言いましたが、実際カリスマ性やビジュアルはダンチなので、それを利用して、これからどういった活動をするのかは楽しみです。でも今回の曲は二度と聴きません。

 

オタクの一人語りでした。

おわり。