煙草の煙が目に染みる

感情の垂れ流しが、目に、心に染みるように。

榎本りょう presents 「紺碧に澄む。」 短文レポ記事

久しぶりに、心が揺さぶられたライブを見た。

気が付いたら、涙を流していた。

一応僕は小学生のころから「音楽」というものが好きで、有名なバンドだったり、はたまた売れようと必死にもがく地方のバンドだったり、アイドルだったりと、境遇、ジャンル、色々違えど、様々な音楽を生で見てきた。しかし、自信を持って「心が揺さぶられた」と思わせたライブは片手で数える程度しかない。

僕は、事情もあり現地へ行かず、YouTubeの配信でライブを視聴したが、自信を持って言えることがある。それは、今回の榎本りょう presents 「紺碧に澄む。」は、「人の心を揺さぶるライブ」であった、と。

 

色々と話したいことが山ほどあるのだが、公式からセトリの発表、スクリーンショットの投稿の有無の提示が一切無いため、そのことについては言及しない。勿論、今回のセトリは榎本りょう本人が決めたものであるため、榎本りょうがファンに届けたい音楽を並べたものだと思う。なので、公式から正式にセトリのツイートがあった際には、改めて記事を書こうと思う。

 

まず、ライブが始まる前の入場。両手を上に掲げ、拍手をしながら榎本りょうはステージに入場していく。僕は完全に、前所属のグループのステージを思い出した。前所属のグループはまだ榎本りょうの中では一切死んでいないのだ、ということを改めて思い出させたのだ。別に、疑念を抱いていた訳じゃない。メンバーとの交流も多い。しかし、心のどこかに、前グループは何故解散という道を選んだのだろうか?という疑問はあった。しかし、その疑問すら、今回のライブの入場シーンで消え去った。全ての原点はステージで歌っていたアイドル榎本りょうだった。そうやって、改めて思い出させたのだ。

 

そして、曲が始まる。前も書いたが、曲名等には言及しない。しかし、榎本りょうが好きな音楽を羅列した3曲だった。それは分かる。僕は、ステージの上で歌う榎本りょうを見て、すでに3曲目で泣いていた。何故か。これまで配信やモデルに専念していた榎本りょうが、ステージに戻ってきてくれた。しかも、オールソロステージという、挑戦もしてくれた。多分、そのことに対しての感謝なのだと思う。ありがとう。その感情だけで、人間は涙を流せるのだ。

 

MCを挟んだ後、ピアノとアコースティックギターのサポートメンバー2人が登場し、アコースティックライブが始まる。演奏も、全てよかった。その中で、1曲のみ、榎本りょうがアコースティックギターを持ち、演奏しながら歌うということに挑戦していた。yellライブの中で、ギターを練習していた姿は何度も見たが、はっきり言うと初心者だった。コードの押さえ方、ストロークを見て、まだステージで披露するのは厳しいのでは?と思ってしまった。それから1ヶ月弱。ステージで披露したギターは、ものすごく、上手くなっていた。ギターをしていた方なら分かると思うが、アコースティックギターを始めてから1ヶ月程度で、完璧に演奏しながら、普段の歌声で歌う、ということは出来ない。普通、どちらかに集中が偏り、どちらかのクオリティーは下がる。しかし、榎本りょうはそれを完璧にこなしていた。その時点で、並大抵ではない努力の片鱗が見えたのだ。親心ではないが、ものすごく頑張ったのだな、という情のようなものが溢れた。僕は、100全ての他人の努力は知る由もないので、安易に知らない努力に対して、頑張ったね、という言葉を使いたくない。しかし、僕の語彙力の中で、涙を流している中で、頑張ったね、という心情以外、現れなかったのだ。榎本りょう本人はその後に「全然うまく出来なかった」と発言していたが、僕としては完璧だったと思う。それは技術どうこうの話じゃない。音楽として、音楽の意味として、完璧に出来上がった演奏だった、と思っている。

 

そして最後の曲。榎本りょうの歌声は震えていた。しかし、涙は見せなかった。そして、曲が終了し、感謝をフロアのお客さんに伝えた後、笑顔でステージを去ったのだ。勝手な感想だが、そのような芯があるのだと思う。それを曲げなかった。ソロだとしても。無料ライブだとしても。様々な感情が渦巻いても。それが、僕たちに「プロだ」と感じさせるのだ。

 

ステージ暗転後、すぐにフロアから拍手が鳴り響く。これが、今回のライブが「心揺さぶる」証だ。証拠だ。

 

アンコールを受け、ステージに現れた榎本りょうは、最後に自らが作詞作曲した曲を披露したのだった。

この最後の曲の前、榎本りょうはお客さんに向けあることを語っていた。それは、今回のライブのタイトルである「紺碧に澄む。」の由来である。榎本りょう本人は「ソロ活動後に初めて作った曲(今回アンコールで披露した曲)が夏の曲だったから」と言う意味だった。ただ、僕は言葉に携わっている、というのも烏滸がましいが、そういった活動をしている訳なので、少し自分なりに考えていたことを話して記事を終わらせたいと思う。

 

そもそも紺碧とは、ライブ中に榎本りょうも話していたが、真夏の日差しの強い青空の色のような深く濃い青色のことである。濃い青色の「紺色」と強い青緑色の「碧色」と青を表す文字が繰り返されているため、美しいものの例えとして使われることが多い。

では、紺碧とはどのような心理を働かせるのか?というのを考えた場合、夏、開放等のイメージが現れるが、孤独、不安というイメージを持つ場合がある。しかし、そのイメージを「澄んだ」のだ。yellライブの中での発言やライブ中でも発言していた「皆さまのおかげ」という言葉。それは、私はグループを離れ、一人になり、孤独になり、様々な感情が生まれた。しかし、皆がいてくれた。そんな感情を払拭した。だから私は大丈夫なんだ。という深層心理が考えられた。このライブを始めるきっかけとなった、yellライブのコンテスト1位。それは7月だった。その7月の空の紺碧を、ここで再現したかった。そんな意味も考えられる。

 

今書いたことは文面から見た予想に過ぎない。全然違うかもしれない。だが、僕にはそう見えた。一意見として、見ていただけたら幸いである。

 

それともう一つ。紺碧の意味の中で、重要なものがもう一つあるのだ。

 

夢。

 

澄んだ夢をこれからも見せてください。

 

次は必ずライブに行きますのでね。

 

最後に榎本りょうの歌ってみた動画を掲載致します。ご覧ください。視聴し、再生数を増やすという、夢の道を歩む女の子を応援してみるという行為も、中々面白いですよ。

 

ではまた。紺碧の空の下で会いましょう。