煙草の煙が目に染みる

感情の垂れ流しが、目に、心に染みるように。

ロックミュージシャンが今の情勢に関しての発言をすることについての話

はい。こんにちは。

 

突然ですが、皆さんは『ディスカッション』というものをしたことがあるでしょうか。知らない中高生のガキ達に簡単に言うと、議論とか話し合いです。誰でもしたことありますよね。ディスカッションのルールというか、常識として、あるテーマについて、参加者たちが自由に意見や情報を出し合いながら、より良い結論へと導いていくことが必要です。勿論、肯定的な意見だけでなく、否定的な意見が出る場合があります。この意見を全員でまとめ上げて、最終的な結論を出す。まぁディスカッションはそんな流れです。

こういう意見の言い合いってのが最高に面白いと僕は思います。他人の意見を聞きつつ、ここは合ってるけどこうだよね、みたいな発言が生まれて、正解のないテーマに対しても、そのグループ内で納得できるような結論が生まれていくからです。その結論は、実際何でもいいんですよ。犯罪行為じゃなければ。世間からズレてようが、常識の範囲外であろうが。それが新しいアイデアを生むことに繋がります。

 

で、話はすげー変わります。最近のインターネット上での批判について。さっきも言った通り、犯罪行為に繋がるとか、人の命に関わるとか、そう言ったもの以外は、全然否定的な意見は発信すべきだと思います。

しかし。批判を行うような大多数の人間は、相手の話を聞かずに自分の意見を頑なに貫きます。これは、話し合いとしては不成立だと思います。簡単に言うと、断片的な情報だけで、自分で勝手に解釈し、批判しがち、ってことです。これは若いっていうか、ガキにありがちな傾向です。母親に好きなものをねだって、それが貰えないと「やだーーー!!!!」ってずっと言うガキと同じです。

あとは、批判したいが為に意見を変えてくるやつもいます。実際、これめちゃくちゃ多いです。前の記事にも書いたかもしれませんが「オリンピック反対!!!ギャー!!!」って言いながら、自分は外で飲み会してるとか。めちゃくちゃ見てて面白いです。

 

そしてここから書くのが、タイトルにもある通り、アーティスト、というかロックミュージシャンが世間の情勢について、意見をSNSやステージで発信することについてです。

そもそも、ロックミュージックは、ロンドン、サンフランシスコから生まれたもので、ヒッピームーブメントやカウンターカルチャーなどの社会運動が高揚した時代と同時期に流行り出しました。つまり、カウンターカルチャーによって流行った音楽です。カウンターカルチャーって?ってなりますが、てめーらが大好きなサブカルの一種です。サブカルチャーのサブってのは『主流文化に反する』って意味です。あと『少数派』って意味もあります。

んで、そんな主流に反するって感じで流行ったんだから、政治行動や人種、性別、セックス、薬物使用に対する意見と結びつきが凄かった。皆大好き、レッドホットチリペッパー。今でこそ、すげー詩的な感じですけど、初期はドラッグや性的倒錯、アルコールについて歌ってました。実際ヤクしてたし。グラミー賞取った『Give It Away』とかも薬物の経験とかの話が元ネタです。詳しくはググれば簡単に出てきますが、歌詞は自分の意見マシマシです。それでも売れた。僕はこれがロックの本質だ、と思います。

 

 

で、現代の日本の話です。今、フジロックが無事かどうかはまだ分からないですが終了し、その後のKing Gnuの常田のInstagramの投稿が話題になってます。

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取り上げられているのは「怒りの矛先を間違えるなよ」という文章。で、皆制約の中で働いてて、それを守っているんだよ。だから矛先を違うところに向けるなよ。ってことですね。

で、常田に関してはこの『間違っている怒りの矛先』とか『自分が思ってる怒りの矛先』については何も言及してないので、話し合いの意見としてはめちゃくちゃズレてる。書くならちゃんと書けよ、とは思います。

でも1番やべーのは、この言及してない矛先を勝手に予想して肯定してるファン、そしてそれを否定し始めたTwitter民です。さっき話したディスカッションで話すと、テーマがめちゃくちゃ曖昧なのに、意見を言い合ってる状態です。いやこれ普通に考えたらどうなん?って話です。

 

んでまぁ、肯定的な意見は『常田さん素敵♡』みたいな感じなのでどうでもいいっていうか、完全に上の人に対する憧れの感情による肯定って感じなので参考にはしてませんが、否定的な意見を少し見ましょう。

 

「不要不急なロックフェスを開催し、感染拡大を助長させることについても怒りの矛先になる」

「直前に辞退した人達との違いだよ 今の日本の状況を考えて発言できないのか 自分中心主義で周りが見えてない」

 

みたいな。で、僕『音楽』を止めると『文化』が死ぬ - 煙草の煙が目に染みるで言いましたが、主催者側、アーティスト側ではなく、ボロクソ言うべきは感染対策をしようとしないライブを観に来た参加者だってことです。フジロックに関しては、主催者側が感染対策を設けて、アーティストはそれを信用して参加している訳です。開催意義や、開催したことによる音楽カルチャーの未来も提示しました。このフジロックによって感染者が現れた場合、責任をフジロック側やアーティスト側に丸投げするのはナンセンスではないのか?って思います。だって感染対策提示してんのに、それを守らなかったやつが悪いに決まってんじゃん。100%とは言ってないですよ?フジロック側にも荷物検査の甘さとか色々あります。でもさ、東京で深夜飲み屋街で出歩いてマスク無しで酔っ払ってる人たちを見て、いや都が悪い!ってなります?ならないですよね?それと同じ原理にはなります。

あと自分中心主義って言葉。さっき言ったように、ロックは完全に自分中心の音楽です。それを批判するのは何かなーって思っちゃいますね。

 

多分これって、サブカルチャーが若者のメインカルチャーに移行しつつあるからだと思うんですよ。本来、サブカルチャーなんて社会への反乱文化なんだから、それを受け入れられること自体が違います。ただカッコいいから、ってサブカルチャーを肯定するのは、申し訳ないけど本質的には間違ってます。でも今はそういう時代になってきたのは認めざるを得ません。

しかしですね。文化の肯定ではなく、ロック音楽の肯定だけって若者が多いんですよ。それによってカウンターカルチャーとしての発信が難しくなったというか、する人が少なくなってきたんだと思います。

そして、さっきも言いましたが、批判する人間というのは、自分の意見との相違があるとすぐに叩く。社会への反乱発言は認められないのに、音楽だけが生き残った。でアーティスト側は叩かれたくないから、思っても発言しない。何かアーティストも批判する人間も不思議だな〜〜〜って思っちゃいます。

 

あと政治関係の発言をする方と言えば、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤が有名。記憶に残ってるのは、確か2016年のフジロックフジロックにSEALDsのメンバーが出演することに「音楽に政治を持ち込むな」みたいな意見に対して「主張はステージで繰り返してきた」ってツイートしてました。あとは元安倍首相批判発言、反原発発言とか色々。いや、これこそ本当のカウンターカルチャーサブカルチャーなんじゃないか?って思うんです。もっと社会に対して反論しろ。もっと常識の概念を破壊しろ。そう思います。別に意見の中身に対する否定的な意見は良いと思うんですが、その意見をする行為を批判するのは、ナンセンスかなって思っちゃいます。

 

結論です。

バンドマンはどんどん自分の意見を発信してください。それを曲にしてください。それがロックという文化です。ファンから見切られようが、批判を浴びようが、自分の意見を貫いている奴の方がめちゃくちゃカッコいい。実際、今の邦楽は完全にポップスです。ポップスなんか僕は聴きたくも、見たくもない。日本だからこそ成り得る、ロックをどんどん見せてくれ。

 

どうぞ、この記事自体を批判してください。滑稽ですので。

 

おわり。