煙草の煙が目に染みる

感情の垂れ流しが、目に、心に染みるように。

神聖かまってちゃんの「23才の夏休み」は23才ニートに突き刺さる曲なのか

 

俺、去年の12月に23才を迎えてしまいました。もうおっさんですよ。おっさん。酒の飲みすぎでビール腹だし、タバコの吸いすぎて咳が止まらなくなってしまった。椅子に座ってるだけで疲れてくるし、たまーにランニングとかしてても自分の足が動くイメージと動ける身体のギャップが生じて足がもつれる。いや、逆にこんな動けない23才いないでしょ。

って話を、バーで酒を飲んでた時、隣で仲良くなった40代の若めの風貌をした人に「23才は若い!何でもできる!」って言われましてね。いやもうこちとら人生詰んでんすわ。だからニートしてまんねん。って言いたくなった。けど言わなかった。18歳の頃なら言ってたね。ふざけんじゃねぇって身体の正中線5連突きしながら。それがしなくなっただけ大人になったのかなぁ、なんてしみじみ思います。

 

話は変わるけど、前も言ったバンドやらアーティストは、その時の「リアル」や「リアルに近いフィクション」を歌詞やメロディーで表現して、ファンから共感を得ている。んでだ、神聖かまってちゃんってバンドがいましてね。そいつら「23才の夏休み」なんて曲出しやがってんです。いや、神聖かまってちゃんは昔根暗でめちゃくちゃ細い友人がいましてね、その子がめちゃくちゃ好きだったバンドだったからよく聴いていたんですよ。でも最近になってあんまり聞かなくなりまして、さあ、今ですよ。今23才になり、無事ニートになり社会不適合者となった今、神聖かまってちゃんの「23才の夏休み」の歌詞やメロディーはぶっ刺さってくるのか。検証していきたいと思います。

 

23才の夏休み / 神聖かまってちゃん

 

歌詞

僕は今年で23才
少し顔がやつれてる
夏が来たなんて言ってもどこにも行かない
予定がないからね
ギアを上げて今を過ごしています
ひどすぎる夏休み走り出す
君が僕にくれたあのキラカード
その背中に貼り付けてやるよ
今すぐに
君の貯金はいくらあるんだい?
そんなことは僕に関係ない
夏が来ただって今年も僕はきっと何もしないです
チャリを漕ぎつづけて二十歳を過ぎた
気付かないふりをして走り出す
君が僕にくれたあのキラカード
その背中に貼り付けてやるよ
23才になっちまったと
九十九里浜に叫んでしまったよ
そして33才さ
さんさん太陽がむかつくぜ
そういや君はどうしているのかな
チャリを漕ぎつづけて過ごしています
くだらねえ夏休み走り出す
君は今どこにいる何をしている
僕には関係ないのにね

だけど気にしてしまう僕がそこにいるのさ
変わり果てて行く様を走らせる
君が僕にくれたあのキラカード
その背中に貼り付けてやるよ
今すぐに
そうさ今すぐに
そんな夏休み

 

いや、めちゃくちゃぶっ刺さってくるやん。ナイフでズタボロにしてくるやん。なんだこれ。

いや確かにな、この曲はキャッチーなメロディーの中に「23才という同級生たちが就職とかしている中、1人取り残された何者にもなれていないまま孤立した男の何もない夏休み」を歌ってるってメッセージ性がある。

「君が僕にくれたあのキラカード その背中に貼り付けてやるよ」って歌詞のワード、俺はこの童心を忘れていないやつの心が痛いほど分かる。だってよく考えてみろ?今遊びに行こうぜなんて言ったら酒飲みに行くくらいしか選択肢しかないんだぜ?バーベキューだったり、居酒屋で上司の悪口と社会に対しての反抗みたいにしか言わなくなってしまったんだよ。俺たちは。23才になって、歳をって行けば行くほど、子供の時みたいに「サッカーしようぜ!」とか「そこら辺に落ちてる木の棒で戦いごっこ」みたいなことなんて一切しなくなるだろ?でもそんなことをしたいって童心は心の中にあって、でもそんなことは出来ないと自分勝手にセーブをしてしまう。そんな歳なんだよ。23歳っていう年齢的には大人。けれども社会的には子供のまま。だからこの神聖かまってちゃんっていうか作詞のの子のフレーズが突き刺さってくる。

1番は、俺たちにそれを問いかけるような感覚に陥ることなんです。「お前はこのままでいいのかい?」「ガキの頃夢見ていた23歳になったかい?」「勇気をだして自分自身を変えれないよな、そんな自分自身の未来も変えられないのはお前は23歳のガキだからだ」みたいな。そんなことを悩んで、考えてみるのはどうかな、皆様も。

 

最後のサビの前、「そういや君はどうしているのかな」なんて言われないようにならないといけない。自分を自己主張しろ。それがの子のメッセージ性で、俺たちみたいな中途半端な大人に対して、ズタボロにしてくるんだろうな、と思う夜でございました。

 

以上。また何かあればよろしく。