煙草の煙が目に染みる

感情の垂れ流しが、目に、心に染みるように。

邦楽ロックは何故アイドル化してると言われているのか?

 

1月20日、ぜんぶ君のせいだ Zepp Tokyoワンマン、行ってきましたよ。ええ。何ていうか「最高」の二文字に尽きる。何が最高だったかって?全部だよ全部。4人のメンバーがキラキラしていて最高だった。もう最高。え?詳しい内容を聞かせてくれ?そんなもん覚えてないわ。4人が踊って歌って笑顔でキラキラしてて最高。アイドルのレポなんてこんなもんでいい。詳しく知りたければ現場行け。音源買え。

 

 

こんなざっくりとしたレポを考えている内に、アイドルのライブって従来のバンドのライブと少し違うなって感じたんですよね。

従来のバンドのライブってのは、単純に「そいつらの生の演奏を聴きたい」って音楽に対してのリスペクトの感情が生まれるから行くんだと思うんです。でもアイドルのライブって先程の「生の歌声を聴きたい」って感情の他に「推しに会いに行きたい」「推しと話したい」ってその歌ったりしている人たちに関しての感情が生まれてるんですよ。だから、従来のアーティストとアイドルっていうのは、一線を介していると考えられるんです。

簡単に言うと、音楽から人に行くのが従来の音楽シーンで、アイドルは人から音楽に行くっていう。分かりやすいかな。

 

ただ昨今、所謂バンドマンに対する「顔ファン」が増えてきて、歌を聴きたいって感情よりも先に、あのカッコイイボーカルに一目会いたいって感情が生まれているサブカル女共が増えてきているわけです。

 

って考えたときに、あれ?バンドとアイドルの垣根がどんどん無くなってきて、音楽業界がアイドルの路線に乗ってきているんじゃない?と考えられるんです。

それが悪いとかそんなこと言っているわけじゃなくて、単純に顔が不細工なボーカルでもいい曲作るのに全くサブカルナオン共がピクリともしないなんてことがしばしばあって、音楽自体を評価せずにその人だけで評価してしまうっていうことに対しての危機感だけは持っていた方がいいんじゃないかってことなんですよ。

 

まぁ岡崎なんちゃらとかの例外はあるけども、ああいうのはメロディは素晴らしいこともあるけど、ライブでノリやすいからなんだと思います。それもライブキッズ共は音楽自体を評価しているより、「その人に会って楽しめるから」っていう、結局アイドル寄りの思考が生まれているんじゃねえかなって感じてしまうんですよね。

 

結局僕が言いたいことは、音楽を聴いてその人たちが何を伝えたい?何を表現したい?ってことを考えるのもいいんじゃねえかなってことです。純粋に音楽を楽しむ心を忘れないようにしなければならないと思いました。

 

でも推しに会いてえな。早く会いたい。以上。