煙草の煙が目に染みる

感情の垂れ流しが、目に、心に染みるように。

『儚』とはこのアイドルの為に有る "yumegiwa last girl"

最近、アイドルの楽曲を聴き漁っている。

 

というのも、僕は元々【アイドル】という宗教的概念を持った音楽が大好きだし、寧ろ時代の最先端を突っ走っているジャンルだと感じている。

例えばユーロビートだったり、EDMだったりと、日本の流行りの最先端をアイドル音楽が取り入れている。最近だとBPM15Qが再結成したりしてるし、有名ボカロPが簡単にアイドルに楽曲提供しているのが良い例だ。気付いた時には邦楽ロックやJ-POPなどは蚊帳の外に追いやられているし、流行らそう、売れようとしてTikTokの流行に乗ろうとしても、RADWIMPSONE OK ROCKのTakaとfeat.した曲が何故か流行ってしまったものだから、太刀打ちなど出来ない。そう考えた時に、流行り出す、売れていく、知名度を上げていくのは、流行を取り入れた音楽、アイドルだと思うのだ。

 

そんな時代という、ガンガン早口や転調を用いたような、複雑な音楽、フロアを盛り上げるような音楽を流行の最先端でしている中で、面白いアイドルを見つけた。

 

それが『yumegiwa last girl』というグループだ。

 

 

鋭利なロックサウンドが耳を貫くが、歌声として聴こえてくるのはシティポップ的。そのせいで楽曲が鋭利なくせにセンチメンタル。ハリネズミがかわいい、みたいな思想と似てる。

 

MVを見ても異質なのが見て取れる。アイドルとして、ビジュアルを第一印象にしていない。最初に現れるのはニヤついたおっさん。誰だこいつ。

 

ただ、その後に響くウィスパーボイスとも取れる歌声と、シンプルなMVの構成と、踊り。正直、この感覚を待ち侘びていた感覚を得た。最近のMVはモデルを起用して何故か踊らせたり、演技させたり、ドラマチックにする。岡崎体育も曲でやってたじゃん。イジってたじゃん。わざとwwwwwwザラついた映像wwwwwwって。8mmビデオのエフェクト使いすぎ。そんな映像したところで、センチメンタルな楽曲が映えるわけねえじゃん。求めているのはこういうMV。クソシンプルなMV。演者が踊ったり演奏したりするだけのMV。

 

 

マジでこういうロックバンドのMVが1番かっこいいと思ってたりする。そんな感覚を、yumegiwa last girlは覚えさせてくれるのだ。

 

あと違ってたら申し訳ないんだけど、このグループ名、スーパーカーの『yumegiwa last boy』から来てるんじゃないか、と。僕もスーパーカーのHIGHVISIONは死ぬほど聴いた。この当時誰もやっていなかったナカコーのオルタナ+エレクトロのミュージックの衝撃を、再現したいんじゃないかな、と思っている。このyumegiwa lasw girlの場合、オルタナ+シティポップだと思うんだけど、充分アイドル界隈には衝撃を与えている。面白い音楽をしている。

 

この場合のオルタナティブというのは、'00年代のナンバーガールやブッチャーズのような人を音で殺すような音楽とは少し違って、少し先の相対性理論のような音楽。その感覚。確かフィッシュマンズのエフェクトしてた方も参加してるし、やくしまるえつこのウィスパーボイスに合わせたジャキジャキの音楽をしている。エフェクトや構成は違えど、感覚は似ている。初期スーパーカー相対性理論。そんな感覚。違ってたらごめん。

 

 

 

 

あと面白いと思うのが、何故か未完成を感じるということ。まだ気付かれていない夢追い少女たち アイドルのMV再生数10000回以下のオススメ曲 - 煙草の煙が目に染みる の記事の『終わらないで、夜』でも書いたとは思うんだけど、未完成なまま完成させることで、未完成な美しさを生じさせることが出来たりする。それはめちゃくちゃ難しくて、大体それを目指そうとすると「なんか適当にやってね?」っていう、手抜きを覚える感覚がするけども、このグループは違う。手抜きなどでは一切ない。その先の『終わり』『終幕』を常に感じさせられる。曲のひとつひとつにその感情を生じさせることで、『儚』という一文字に集約させている、なんて思う。

 

よくアルバムやEPの中でも盛り上がる曲とバラードを混ぜたりするが、このグループは良い意味で一定。良い意味で曲調が相似してるし、グループの目指す世界観がしっかりしている。

 

正直、世界観という概念なんて陳腐だと感じていた。マイヘアのパクリをして世界観語ってるバンドマンが多すぎたせいだ。ただ、気持ち悪いほどに作曲陣、作詞陣、表現者の思惑と道が合致していて、目指しているものを見せている楽曲だ。それが本当の世界観ってやつだと思う。

 

多分、伝わらない人間には伝わらない音楽だ。ただ、それを目指している。最高じゃないか。

 

僕は面白い音楽をしている人間たちを、応援したい。

 

これはハリネズミカフェに行きたい気持ちと、似ている。

 

 

6/6

6/6

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榎本りょう『crawl』MV 短文感想レポ

 

榎本りょうの『crawl』のMVが公開された。

 

この曲は3/17にサブスクリプションにて公開された楽曲で、気付いた時には配信されていた、なんて楽曲だった。

 

そんな海の波のように突然現れたような楽曲ではあったが、ただその波は静かであり、『動く』という生を感じることが出来るような、人間を感じることが出来るような、そんな楽曲だった。『静と動』というよりは、『静と生』という、"sei"の関係性を覚えたのだった。

 

そして本日MVが公開されるということで、プレミアム公開で視聴した。

 

視聴し終わった第一印象を挙げるとするならば、『儚さ』を感じた。今風に言えば『エモーショナル』だろうか。ただ、僕はそのような簡潔な言葉で物事を表すのは好きではない。なので、その『儚さ』の正体をこれからの文章を書きながら考察していきたい。

 

まず、一目置くのはメロの間に流れる歌詞の文章である。その歌詞の文章が出るタイミングはサビ入りのタイミングの1つ前のリズムに合わせたタイミングで現れたりと不規則であった。また、水色を基調とした背景に白文字という、視覚的色彩的に視認しづらい表現をしている。その不規則と視認のしづらさが不完全さという人間の表現であるのか、と感じることが出来た。

 

次に前述した歌詞の文章を考えてみる。

考えるにあたって改めて歌詞を眺めていると、表現的には「暗いところから光へ泳ぐ」という感覚を得た。ただ、MVを見ると昼という時間帯から夕方や夜の時間帯の表現が増えるという、『昼から夜に向かう』という感覚を得たのだ。それは歌詞とは真逆と言っていい。その対比は感情と行動の対比なのかもしれないし、予想は色々可能だ。ただそれは本人しか分かり得ない対比や葛藤なのかもしれないし、僕たちがその一片を感じることが出来るのは幸せなのだ、と思った。

 

つまり、前述した『儚さ』や『エモーショナル』は、人間の葛藤と感情の表現を感じれたことによる幸せなのだと思う。

 

僕は、MVにドラマチックなことをするのが嫌いである。MVは本人が表現するべきだし、他人の表現を使うべきではない。なので、ロックバンドは演奏だけのMVが好きだし、女の子が出てくる、なんてことは嫌いである。

今回のMVは榎本りょうが基調とし、身内である妹が監修したものとなっている。これは、全てが本人の中で出来上がり、考え、表現したものとなっており、本人の一片を感じることが出来たと思うのだ。それもエモーショナル、なのだと思う。

 

最後に。

僕は最初に"sei"の関係性と言った。

seiはシワン語で「詩」である。

 

この曲は、榎本りょうの「静と生」の詩なのかもしれない。

 

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榎本りょう 配信ライブ「波を折る」短文レポ

久しぶりに生で演奏する音を聞いた。

 

実際は配信という電波を介した音楽であるのだけれども、僕が思うに「今奏でている音」を聞けるということは現在進行形の音であるから、生演奏を聞いているということに変わりはないのだと思う。僕はそんな感覚をこのライブで感じた。

 

今僕は音楽には一切携わってないし、批評などは言う立場ではないので、感じたことをこの先の文章にて示していきたいと思う。一応文章を書いて金取ってる人間だしね。

 

まず、ライブ告知が発表されたツイートを見て「波を折る」というタイトルの純粋さと潔白さに心打たれた。

"波折り"という単語があるのだが、意味的にはライブでも本人が言及していた通り「波が重なって押し寄せてくる」という意味合いなのだが、それは音という意味合いにでも当てはまる単語なのだと思う。

そもそも音は波として伝わるもので、その波が鼓膜を震わせ内耳に介入して電波信号を与えるものであるけども、今回のライブにおいて『アコースティックライブ』という音の介入が少ない編成にも関わらず、重なり押し寄せてくる感覚を味わった。

 

少し話は変わるけれども、僕は色々なライブに足を運んだ自負はあるし、自分自身ステージに立った経験も少なからずある。

その中で『アコースティックライブ』というのはめちゃくちゃ難しくて、ほぼアコースティックギターカホン(+α)みたいな編成が多くて、奏でる音の多様性が少ない。つまり、ひとつひとつがはっきりしたものがないと成り立たないのが『アコースティック』という音楽だと僕は思う。

その中で、榎本りょうははっきりとした音と歌と表現をリスナーに与えてくれたライブだったと思う。

 

 

この初っ端に歌っているのが榎本りょうなのだが、歌声的は簡潔に言えばパワフルな歌声である。感情を込めた感覚を覚えるような、そんな歌声である。僕はそこが好きなのだ。

 

今回のライブでもその感情表現は発揮されていて、曲の中でも「どのような感情と表現で歌うのか」という明確な意図が感じられたような気がする。その意図に呼応した2人のバックが上手く音の調整をしているような、息の合った演奏だったと僕は感じた。

 

別に元々好きだからえこひいきしている訳では一切ない。前回のライブから格段に歌声はパワフルかつ繊細に綺麗になっているし、何よりバック2人との連携が良くなっている。ハモりの感覚だとか、ミュート時の感覚だとか、それらが気持ち良く快感を得るような時間を過ごせた。

 

僕の思想的に「自分の奏でる音楽は自己満足でありマスターベーションなのだ」「自分が好きな人間が好きでいれればそれでいい」というものであったが、このようなライブを見せられると、自分自身も他人の感情を揺さぶるような表情をしていかなければ、という思いに駆られたのだ。

 

そんな、深く、重く、波打つライブであったのは間違いない。今後も聞いていきたい音楽であることも肯定せざるを得ないだろう。

 

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現在ライブチケットの購入により、アーカイブではあるがライブ映像を視聴可能である。

良ければ見ていただければ、僕も嬉しい。

 

↓↓↓

 

Perfect Music Tickets

 

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元アイドルがバンド活動する時は参考にした方が良い 「Haze」

「元アイドル」

この肩書きってめちゃくちゃ融通が効くと思うんですよ僕。例えば、そこまで売れなかった地方のアイドルでも「私は元々○○という事務所に所属し、ステージの上で歌うといった活動をしており〜〜」なんて面接で言った日には、広告としての知名度だったり、チャレンジ精神の高さを見られて採用されやすい。いや、完全に予想ですけど。僕なら確実に採用します。

ただ、元々ステージで歌ってた人って結構夢追い人が多くて、アイドルを辞めても別の事務所に移ってアイドルをしたり、はたまたソロ活動したりと、やりたかった事をやろう、みたいな感じの人が多いと思います。

で、ここから問題。数%の確率で、元アイドルがバンドをしやがります。まぁいいんすよ。別に。ただ、アイドルの場合はぶっちゃけ顔面が良くてファンサが良くてってパターンでSNSで拡散されて話題に、なんてパターンが多いです。ただ、バンドを始めた場合、一定数の顔ファンは付きますが、音楽性が第一に見られてしまいます。なので「あっ、この子バンド始めたんだ…聞いてみよ…あれ?全然良くないじゃん…微妙…」なんてパターンが多すぎ問題が発生します。それで元アイドル自身が作詞なんかした日には、もうね。うん。ってことを元ゆるめるモ!のあの(ano)の「F Wonderful World」をYouTubeで聴いた話 - 煙草の煙が目に染みるに書いてるので、詳しくはそちらをご覧下さい。

 

んで、本日10/29。元ZOCの香椎かてぃ、名前をKATYと変更し、ガールズバンドを結成。初めて音源とMVをYouTubeにて公開しました。バンドは「Haze」で、歌は「煙霧」。まぁ一回聴いて御覧なさい。皆様。

 

 

いや普通に良くね?

ていうかさ、良くね?

シンプルなイントロから始まるのも、お?なんて思ったり。「吸い飽きたタバコに火をつける」って歌詞から始まり、「火をつける」と「セミが告げる」で言葉遊びして、「ちょっと早く大人になりすぎた」っていう歌詞。素晴らしいと思います。タバコっていう大人の象徴を口にしながらも、セミという子供っぽさの夏の象徴を感じて、自分は気付く。早く大人になりすぎた。みたいな。いや良い観点で文章作ってんな、って思います。

 

タイトルの煙霧という言葉、意味としては簡単に言うと煙で前が見えない現象、またその煙自体のことを言います。んでこれがミソなんですけど、煙の正体が分かっている状態、つまり何か物が燃えて出た煙で前が見えなくなった状態は、煙霧とは言いません。気象用語ですね。まあこれにも諸説ありますが、今回はこの解釈をしてます。

サビの歌詞で繰り返されている「くだらない」、これは自分に向けて言っているのか他人に向けて言っているのかは、人によって感じ方は違いはあれど、そんなくだらないと感じている中で、前が見えなくなっている状態を表現したんだと思います。それをかてぃが好きなタバコと掛け合わせた感じもしますし。簡単に言えば、目的を失っている状態、なんて感じも言えます。しかし、ラスサビ最後の歌詞の「今更変わりたくもない」から、これが自分である、という主張をしてるんだ、と感じざるを得ません。前が見えなくても、自分の感情や他人(歌詞では誰か、なんて表現してますが、自分の負の感情を別認識して表現しているのかもしれない)に邪魔をされても、今更私は変わらねえよ、これが私だよ、なんて強い意志を感じます。

 

で、この歌詞書いたのがかてぃ本人。よくこんな歌詞書けんな、なんて思います。

 

んでかてぃにだけ注目が集まりがちな中、他のメンバーの演奏力だったり、ポテンシャルが高すぎる。お前ら何で世に出て来なかったんだよ今まで、ってレベル。

 

最初の元アイドルがバンドをやることについて話します。最近だとanoだったりが売れてる印象を受けますが、ここまで衝動的で、かつ自分の感情だしつつ、音楽性が高い元アイドル所属のガールズバンドを見たことがない。イメージと遜色無く、曲を作成している感じ。そもそもZOCが自分自身出してこうぜパターンのグループなので、その時のイメージと今回の衝動的な曲がものすごくマッチしている感じを受けますね。

インタビュー記事みても「誰かの支えになるように」みたいに言っているので、実はかてぃやHaze自身が合わせてるパターンがなきしもあらずですが、ただ凄い、という感想です。

まだ荒削りな部分は見えますが、それが「らしさ」でもあるし、別にこのバンドに完璧なんか求めてないんですよ。この一曲を聴いて、じゃあ次はどんな感情を曝け出すんだろうか、と思わせる音楽。俺はそんな音楽が好きです。

 

見てますか?元アイドルの方たち。

このバンドが正解例です。覚えてください。

 

f:id:matyu1223:20211029220844j:image

 

ていうかアー写かわいくない?

 

おわり。

 

 

榎本りょう presents 「紺碧に澄む。」 短文レポ記事

久しぶりに、心が揺さぶられたライブを見た。

気が付いたら、涙を流していた。

一応僕は小学生のころから「音楽」というものが好きで、有名なバンドだったり、はたまた売れようと必死にもがく地方のバンドだったり、アイドルだったりと、境遇、ジャンル、色々違えど、様々な音楽を生で見てきた。しかし、自信を持って「心が揺さぶられた」と思わせたライブは片手で数える程度しかない。

僕は、事情もあり現地へ行かず、YouTubeの配信でライブを視聴したが、自信を持って言えることがある。それは、今回の榎本りょう presents 「紺碧に澄む。」は、「人の心を揺さぶるライブ」であった、と。

 

色々と話したいことが山ほどあるのだが、公式からセトリの発表、スクリーンショットの投稿の有無の提示が一切無いため、そのことについては言及しない。勿論、今回のセトリは榎本りょう本人が決めたものであるため、榎本りょうがファンに届けたい音楽を並べたものだと思う。なので、公式から正式にセトリのツイートがあった際には、改めて記事を書こうと思う。

 

まず、ライブが始まる前の入場。両手を上に掲げ、拍手をしながら榎本りょうはステージに入場していく。僕は完全に、前所属のグループのステージを思い出した。前所属のグループはまだ榎本りょうの中では一切死んでいないのだ、ということを改めて思い出させたのだ。別に、疑念を抱いていた訳じゃない。メンバーとの交流も多い。しかし、心のどこかに、前グループは何故解散という道を選んだのだろうか?という疑問はあった。しかし、その疑問すら、今回のライブの入場シーンで消え去った。全ての原点はステージで歌っていたアイドル榎本りょうだった。そうやって、改めて思い出させたのだ。

 

そして、曲が始まる。前も書いたが、曲名等には言及しない。しかし、榎本りょうが好きな音楽を羅列した3曲だった。それは分かる。僕は、ステージの上で歌う榎本りょうを見て、すでに3曲目で泣いていた。何故か。これまで配信やモデルに専念していた榎本りょうが、ステージに戻ってきてくれた。しかも、オールソロステージという、挑戦もしてくれた。多分、そのことに対しての感謝なのだと思う。ありがとう。その感情だけで、人間は涙を流せるのだ。

 

MCを挟んだ後、ピアノとアコースティックギターのサポートメンバー2人が登場し、アコースティックライブが始まる。演奏も、全てよかった。その中で、1曲のみ、榎本りょうがアコースティックギターを持ち、演奏しながら歌うということに挑戦していた。yellライブの中で、ギターを練習していた姿は何度も見たが、はっきり言うと初心者だった。コードの押さえ方、ストロークを見て、まだステージで披露するのは厳しいのでは?と思ってしまった。それから1ヶ月弱。ステージで披露したギターは、ものすごく、上手くなっていた。ギターをしていた方なら分かると思うが、アコースティックギターを始めてから1ヶ月程度で、完璧に演奏しながら、普段の歌声で歌う、ということは出来ない。普通、どちらかに集中が偏り、どちらかのクオリティーは下がる。しかし、榎本りょうはそれを完璧にこなしていた。その時点で、並大抵ではない努力の片鱗が見えたのだ。親心ではないが、ものすごく頑張ったのだな、という情のようなものが溢れた。僕は、100全ての他人の努力は知る由もないので、安易に知らない努力に対して、頑張ったね、という言葉を使いたくない。しかし、僕の語彙力の中で、涙を流している中で、頑張ったね、という心情以外、現れなかったのだ。榎本りょう本人はその後に「全然うまく出来なかった」と発言していたが、僕としては完璧だったと思う。それは技術どうこうの話じゃない。音楽として、音楽の意味として、完璧に出来上がった演奏だった、と思っている。

 

そして最後の曲。榎本りょうの歌声は震えていた。しかし、涙は見せなかった。そして、曲が終了し、感謝をフロアのお客さんに伝えた後、笑顔でステージを去ったのだ。勝手な感想だが、そのような芯があるのだと思う。それを曲げなかった。ソロだとしても。無料ライブだとしても。様々な感情が渦巻いても。それが、僕たちに「プロだ」と感じさせるのだ。

 

ステージ暗転後、すぐにフロアから拍手が鳴り響く。これが、今回のライブが「心揺さぶる」証だ。証拠だ。

 

アンコールを受け、ステージに現れた榎本りょうは、最後に自らが作詞作曲した曲を披露したのだった。

この最後の曲の前、榎本りょうはお客さんに向けあることを語っていた。それは、今回のライブのタイトルである「紺碧に澄む。」の由来である。榎本りょう本人は「ソロ活動後に初めて作った曲(今回アンコールで披露した曲)が夏の曲だったから」と言う意味だった。ただ、僕は言葉に携わっている、というのも烏滸がましいが、そういった活動をしている訳なので、少し自分なりに考えていたことを話して記事を終わらせたいと思う。

 

そもそも紺碧とは、ライブ中に榎本りょうも話していたが、真夏の日差しの強い青空の色のような深く濃い青色のことである。濃い青色の「紺色」と強い青緑色の「碧色」と青を表す文字が繰り返されているため、美しいものの例えとして使われることが多い。

では、紺碧とはどのような心理を働かせるのか?というのを考えた場合、夏、開放等のイメージが現れるが、孤独、不安というイメージを持つ場合がある。しかし、そのイメージを「澄んだ」のだ。yellライブの中での発言やライブ中でも発言していた「皆さまのおかげ」という言葉。それは、私はグループを離れ、一人になり、孤独になり、様々な感情が生まれた。しかし、皆がいてくれた。そんな感情を払拭した。だから私は大丈夫なんだ。という深層心理が考えられた。このライブを始めるきっかけとなった、yellライブのコンテスト1位。それは7月だった。その7月の空の紺碧を、ここで再現したかった。そんな意味も考えられる。

 

今書いたことは文面から見た予想に過ぎない。全然違うかもしれない。だが、僕にはそう見えた。一意見として、見ていただけたら幸いである。

 

それともう一つ。紺碧の意味の中で、重要なものがもう一つあるのだ。

 

夢。

 

澄んだ夢をこれからも見せてください。

 

次は必ずライブに行きますのでね。

 

最後に榎本りょうの歌ってみた動画を掲載致します。ご覧ください。視聴し、再生数を増やすという、夢の道を歩む女の子を応援してみるという行為も、中々面白いですよ。

 

ではまた。紺碧の空の下で会いましょう。

 

 

 

 

 

 

TikTokでボーカロイド曲が使われてイラついてる、インターネット老人会所属オタクへ向けた記事

はいどうも。数ヶ月前にTikTokをダウンロードして一切バズらなかったので、TikTok見る専になったオタクです。どうも。

 

「今の流行りって何か分からない〜〜🥺」

ってなっているインターネット老人会所属の、元陰キャたちよ。流行りはな、TikTokを見ろ。それで分かる。

ってくらい、若者の文化の一つとして「TikTok」が挙げられるくらいになってますね。実際画期的だと思います。15〜30秒の間で、音楽に乗せたパフォーマンスを披露する。それによって音楽は普及するし、一般人が有名になるチャンスを得れる場所を無料で、かつ簡単に行える。ニコニコ動画やらYouTubeやらでフルで聴くよりも、盛り上がる場所をピックアップしているので若者としては耳に残りやすい。そんなものを「短尺動画プラットフォーム」なんて言ってますね。

 

んでまあそんなTikTokの動画の中に、ボーカロイド曲が使われてることが多々。そのことに古のオタクたちは腑煮え繰り返っています。多分この理由を分からない陽キャクソ未成年飲酒喫煙キッズに簡単に説明致しますね。ほろよいで死んだ脳で考えてください。

 

まず、ボーカロイド曲なんてのは、15年前とかなんかには「オタクの象徴」みたいなものでした。オタク文化なんてのはそのころは「気持ち悪い」の代名詞でもあって、俺ボカロ好きなんすよwwwwwwwwwミックミクニwwwwwwシーテアゲルーwwwwwwなんて堂々と宣言する奴なんていなかったんです。みんな家に帰ってシコるみたいに、家に帰ってWindows XPを開いてニコニコ動画を隠れながら見る。そんなオタク生活を俺たちの中高生の頃は送っていました。

で、今です。TikTokでは若者がそんな気持ち悪いなんて昔思われてたボカロ曲で、しかも顔出しで踊ってるんすよ。しかも、昔に「キモーいwww」とか言ってた陽キャ女が。

オタクはそりゃキレます。「さんざん馬鹿にしてた俺たちの領域を、流行りって名目で聴いて「いい曲!!!」とか言うな」みたいな。

 

一応僕としては、無断転載さえしなければ、TikTokでボカロ曲を使おうがどうでもいいんですが、「過激派オタク」vs「過激派TikToker」という構図で全面戦争が起きて、プロレスのリングの中でタイマンのデスマッチを行うのだとしたら、めちゃくちゃ興味あります。誰か企画してください。よろしくお願いします。

 

しかしですね、例えばMDやらCDからサブスクリプションに音楽を聴く人間が移行したように、音楽の流行の現場も移行したことは間違いないと思います。

昔はインターネットやらが普及していない時代であったので、音楽番組だったり、CDショップに足を運んで試聴するみたいなことで音楽に触れていました。ていうか、それしか出来ませんでした。それが、今YouTubeのショート動画だったり、TikTokに移行しています。それは勿論「手軽」だから。結局労力を使いたがらないんですよ、今の若者。例えば、遠くのCDショップに行って、CDを買って、その帰りの電車の中のワクワク感が好き、みたいなのがないんすよ。分からないんですよ。だからスマートフォンっていう手元にあるものだけで情報を完結させるんですね。

 

その情報の1番最初にいるのが「インフルエンサー」と呼ばれる人間です。インフルエンサーが曲に合わせてダンスをした動画を投稿すると、それを見て真似をした動画を一般ユーザーが投稿する。それで広まる。TikTokはそういう流れです。昔のエンタメは音楽プロデューサーみたいな、音楽を知っている人間からの情報提供だったものが、最近は音楽をそんな知らない一般人のTikTokerによる独断によって情報が発信されていきます。

 

何が言いたいか。良い音楽でも、発見されないと埋まります。その可能性がめちゃくちゃ高くなってしまった。

 

これが第一の問題提起です。

 

確かにインターネットが普及したことで、音楽を聴く壁というか、色々な音楽を聴ける可能性は広がったんですよ。しかし、特定の曲やアーティストだけがプッシュされがちな時代になりました。皮肉ですよねマジ。「あの人が好きだから私も聴かなきゃ!好きにならなきゃ!」って構図。そんなんで流行って出来るんすよ。

 

あとこれが一番言いたいんですけど、さっきも言った「短尺動画プラットフォーム」のデメリット。音楽のコメディ化です。TikTokは音楽に合わせてパフォーマンスする動画が中心です。つまり、パフォーマンスしやすい、ダンスしやすい曲が流行りがちなんですよ。簡単に言うと、サビ前〜サビにかけて、特徴的な歌詞があったり、キャッチーなメロディーがあるだけで流行るってことです。「その曲、ダンスれる?」っていう、それが一番の評価の基準になっちゃうんですね。バラードなんか絶対流行りませんマジ。

逆もしかりで、全体の曲構成、歌詞の繋がり、全てを含めて素晴らしいと思える曲でも、一部を切り取って使用されるため、偏見が生まれやすいんですよね。今だとクリープハイプの曲とか。「He is mine」とかの「セックスしよう」のあたりだけ切り取られて、そんな感じのバンドなんすねって知らない人からの偏見が生まれるとかしてます。

 

 

で、ここでボカロの話に戻ります。さっきキャッチーなメロディーをサビに持ってきて、歌詞を特徴的にするのが流行るって言いましたよね。この曲の作り方って、完全に俺たちが好きだった昔のボカロ曲が完璧に当てはまるんですよね。例えば、そーいちさん、というかぼっちさんの「It's A Whole World」とか。

 

 

歌詞が完全に特徴的で、乗りやすいメロディー構成。はっきり言うと、別に大した言葉遊びもしてないし、過激的な感じってだけ。それが流行るんだもん。実際、TikTokで流行る前は一切知らなかったです、このボカロPの方。他の投稿してるボカロ動画なんか見ても、5000回再生行ってないのがほとんど。それが実際の評価なんすよ。でもダンスれるって気付かれたら、曲の良し悪しなんてどうでもよくても流行る。それが現状です。

 

あと、系統はガラッと変わりますが、別の目線で行くと、ビリー・アイリッシュの「Bad Guy」が例に挙げられます。

 

 

実際この曲、ビリーっぽくなくて、普段はっていうか、普通のイメージとしたら、ダークな重低音サウンドにウィスパーボイスって感じなんですよ。でも、Bad Guyはゴリゴリの打ち込みパーカッションやらピアノやら色んな音色が鳴り響いて、それでもウィスパーな声で歌い、遊び心満載って感じの曲。でもTikTokとかだと、「I'm the Bad Guy ……」付近しか流れてこないので、「ああ、ビリー・アイリッシュはこんな感じなんすね」って印象を持たれやすい。本来は若者のダークポップの天才なんですよ。こういう感じで良い曲やアーティストさえも印象が変わる。それがショート動画のデメリットです。

 

さて、TikTokが持つ音楽の流行のデメリットについて語りましたが、ボーカロイド曲が使われるのはもう仕方ないって思うしかないです。オタクは唇と舌を噛みちぎるくらいに耐えてください。しかし、現代の若者が知らない解釈だったりが出来るのは、インターネット老人会所属の古のオタクなので、そこを全面に押し出して、TikTokにコメントしていきましょう。絶対にブロックされるのでオススメです。

 

では。また。

 

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『緑酒 / 東京事変』で表現する希望論

皆様!今日も酒を飲んでいますか!

僕は最近「こだわり酒場のレモンサワー|サントリー」にハマってます。いやね、ずっとレモンサワーが好きで氷結ちゃん(22歳 アパレル店員 ロリ顔地雷系)を飲んでたんですけど「あれ?甘すぎね?糖質高えもんな…」という、まだ25歳にして糖の過剰摂取を気にするようになり、糖質ゼロのこだわり酒場のレモンサワーちゃん(28歳 OL 綺麗系でサバサバ)を嗜んだところ、見事にハマりました。え?浮気は許さない?じゃあここで、知り合いのイケメンが飲みながら言った台詞をご紹介します。

 

女を変えるのは許されない。

自分を信じてくれている女は裏切っちゃダメだ。

でもな。

酒と煙草は変えても良いんだよ。

 

いや、うん。こんな話をしたいんじゃなくてですね。今回は初のコラボ記事になります。今回はイツカさんの記事を引用して記事を書きたいと思います。

 

イツカ イツカ|作詞|ライター (@somedaytsuka) | Twitter

webライター兼作詞家。
言葉の意味を知って貰いたいという理由より活動開始。
言葉を読みたい | 世界に溢れる「言葉」すべてに意味があるにて歌詞解説記事を作成。

俺のAmazonKindleで出版中の小説『イマジナリー・イン・ザ・1K (イマジナリー・イン・ザ・1K (Cig Smoke Book Cafe) | まちゅ | 小説・文芸 | Kindleストア | Amazon)』の解説を書いてくれた優しいお方。

ポケモンと音楽が好き。
あと理屈っぽい男が大好き。
自称「マイルドなリョナラー

 

んで今回は【歌詞考察】東京事変「緑酒」フレーズをじっくり考察してみた | 言葉を読みたいの「緑酒 / 東京事変のフレーズをじっくり考察してみた」っていう題材で記事書きます。

あのさ、散々バンドをディスり、アイドルをディスり紹介していくって記事を書きまくってるこのブログで、真面目に歌詞考察していいのか?ってなりますが、関係ねえ。新しい層を取り入れていくんだ、このブログは。

 

緑酒 / 東京事変

 

いや、マジいい曲っすわ。

この言葉、絶対音楽ブログで言っちゃいけないセリフなんだけど、いや、マジいい曲。

東京事変の僕のイメージとしては、解散前は「独自的な楽曲でムーブメントを起こす」みたいな感じなんだけど、再結成後は「独自性を混ぜながら今のムーブメントに乗っかる」って感じなんすよ。だから歌詞的にも楽曲的にも違う感覚を持つ人が多いんじゃないかな、って思います。

 

で、今回の緑酒も、今の状況を交えながら書いた歌詞のような感覚を持ちます。現在の情勢による、自分の思うように行かない世の中への希望論。それを詳しく解説します。

 

まず緑酒ってなんすか?って話なんですけど、簡単に言うと「うめー酒」です。っていうのは散々色んなブログでも書かれてるんで、もっと詳しく。

これもちょくちょく書かれてるんですが「紅灯緑酒」という四字熟語があります。赤い灯のともる夜の街、それに付随してある酒気を帯びる人間、つまり「歓楽」です。この言葉は大体12世紀ごろの中国で誕生しました。

しかし、緑酒って言葉はもっと昔からあります。4〜5世紀ごろの中国の詩人、陶淵明って人が使ってます。ていうのも、この詩人、めちゃくちゃ酒好きで有名なんですよ。んでその時は「淥酒」って言葉を使ってました。淥って字は「水を濾す」とか「水が綺麗」って意味なんですけど、中国の湖南省を流れる川に淥水って川もそれ由来かなと。

これ完全に予想ですが、その「淥酒」を色彩に例えて「緑酒」と酒好き詩人おじさんは言ったんじゃないかなって思います。

この例えは日本的にも理にかなってて、緑って日本では「瑞々しさ」って意味を持っていました。そこから植物の色を緑、っていう様になったんですね。植物は「生命」「平和」の象徴です。つまり日本的に言えば緑酒は「安らぎを与える酒」ってことになります。つまりうめー酒。

 

この「平和」とか「安らぎ」っていうのは結局「今の状況よりも好転した状態」になるわけで、それの希望が歌詞に込められてるんじゃね?なんて深く思ってます。

 

で、これが歌詞。

乾杯日本の衆
今日は今日でまあ一つ
美味しいかどうかはさておきだ各種生業お疲れさん

小さな頃描いた将来大人は
列国の制度のめぼしき面
選んでは取り入れ最終形態を拵えた

気付いたら違っていたバトンタッチが済んで
自分らは扶養側へ責任を負う立場になった

時間がない金すらない
無い無い尽くしと言う増してどうしてこう心身消耗してんだっけ

乾杯日本の衆信じていたい遍く
全員善人でしょう疑念なぞ抱いても肝を突いちゃならん
大きな不安孕んだ正体憚る
膨満感に噦いてどこから嚥下できようか未だ皆目消化不良だ

気付いたら許していたお年召した御仁と
幼気な御子さん方は恥ずかしそうに黙ってんだ

ぺてんのない世の中を直ぐに作んなくちゃ
そう願わくばいっそ老いも若いも多弁であれ

自由よいいように搾取されないで安く売らないで

終始貴様は誇り高くあって頼むよ
自由フェイクじゃない元来の意味を見せて
騙るまじ腐るまじ追い続けていたい貴様をずっと

果たしても選ばれざる服従層と
知らん間に選ばれし支配層を結ぶ争点
自由という名の富
買い叩いて奪い合う尊厳

乾杯日本の衆いつか本当の味を
知って酔いたいから樹立しよう
簡素な真人間に救いある新型社会次世代へ

ただ真っ当に生きうと言い放てる時遂に祝う
その一口ぞ青々と

自由たる香 さぞ染み入る事だろう
伝う汗と涙が報われて欲しい皆の衆

自由よ愛している
もう遠去かんないで傍に抱き寄せて
終始貴様を尊び敬って求める自由
鳴呼どうしたって意識せざるを得ない
逃すまじ失くすまじ愛されてみたい貴様にやっと

 

では詳しく。

 

まず最初の

乾杯日本の衆
今日は今日でまあ一つ
美味しいかどうかはさておきだ各種生業お疲れさん

なんですけど、これ完全に「緑酒を飲んでいる」んじゃないんすよ。「緑酒だと思い込んで飲んでいる」んすよ。大学生特有の「ゼミの発表終わったからバー行ってテキーラ飲もうぜwww」的な。美味しい酒を飲むことが第一目的じゃない。お疲れさんって労うことが第一目的なんです。そんな状態。じゃあ何で?って話になるわけです。

 

小さな頃描いた将来大人は
列国の制度のめぼしき面
選んでは取り入れ最終形態を拵えた

気付いたら違っていたバトンタッチが済んで
自分らは扶養側へ責任を負う立場になった

時間がない金すらない
無い無い尽くしと言う増してどうしてこう心身消耗してんだっけ

多分、子供の頃描いていた大人っていうのはキラキラしてて、何でも出来て、憧れだった。で、時間もない金もない状態の大人になったら、完全に子供の頃とのギャップが生まれますよね。そりゃ心身消耗するわって感じです。だって子供のころの夢が実現出来てねえんだもん。

 

乾杯日本の衆信じていたい遍く
全員善人でしょう疑念なぞ抱いても肝を突いちゃならん
大きな不安孕んだ正体憚る
膨満感に噦いてどこから嚥下できようか未だ皆目消化不良だ

これも、子供の時に考えていた「みんなは、みんな、いいひと!」って考えが、大人になっても信じてるんですよ。でもその考えに疑念を抱いて、不安を孕む。多分そんな疑念が多すぎるぜベイベー!!!って意味で酒とかけて「嚥下できない」とか「消化不良」とか言ってるんだと思います。医療的な話になりますが、精神的な疲労を抱えた時って、消化器官に直接症状出やすいんですよ。ストレスで胃が痛い…とか言う奴いません?そんな感じです。今までの歌詞の登場人物「日本の衆」しか出てこないんですよ。つまり椎名林檎は日本人全員、何かしらの悩みを抱えている、と考えていると思います。他のブログとかイツカさんのブログだと「社会」への悩みにピンポイントを当ててますが、人間の悩みなんてそれだけじゃない。人間関係、将来の不安などなど。みんな、何かしらを抱えて生きているんです。はい。ちなみに僕の悩みは女の子の友達が地元にいないことです。大丈夫?LINE交換しとく?

 

気付いたら許していたお年召した御仁と
幼気な御子さん方は恥ずかしそうに黙ってんだ

ぺてんのない世の中を直ぐに作んなくちゃ
そう願わくばいっそ老いも若いも多弁であれ

もうその悩みから解放された、いや実際には解放してないけど受け入れたおじいちゃんおばあちゃん、小さい子供はその「悩みを口に出す」という行為をしません。黙ってるのは黙ってるんですが、単純に「悩みを話すことがないから」。でも多弁であってくれって言ってます。めっちゃ我儘じゃない?自分たちが悩みあるから、老人も子供も声を上げろ!って。ぺてんのない世の中は、そんな悩みのない世界なんすよ。実際、そんな世界作れない。でも作りたい。結局「希望」です。さっきも言った「今の状況よりも好転した状態」をみんなで声を上げて作ろうぜ!みたいな。それ、SEKAI NO OWARIさんがめっちゃ言ってます。

 

自由よいいように搾取されないで安く売らないで

終始貴様は誇り高くあって頼むよ
自由フェイクじゃない元来の意味を見せて
騙るまじ腐るまじ追い続けていたい貴様をずっと

はいサビ。サビで多分、そんな世界は無理です。ってことを悟ってます。自分じゃ作れないって悟ってます。だから貴様って第三者っていうか、多分自分以外の日本人全員っすね。日本人全員、そんな世界を作ってくれ。俺は無理だわ。その背中は追うけどね。って感じです。だから最初に「緑酒じゃねえ酒」を飲んでんのかな、って思います。理想を語ってるけど、その前にもう現実は分かってる。これ、僕の大好きな「Pellicule / 不可思議/wonderboy」に似てるんすよ。感じが。

 

 

理想を語って「いや俺たちは最初から格好良くなんてないしな」とかの諦めで片付けるリリック。これが人間なんですよ。人間、希望論だけじゃ生きていけない。何かを捨てなきゃいけない。1番大きな夢は捨ててはいけないって分かってんだけど、捨てる。それで諦める。1番人間味を感じますね。もしかしかしたらさぁ、緑酒じゃない酒って人間味がするんですかね。

 

果たしても選ばれざる服従層と
知らん間に選ばれし支配層を結ぶ争点
自由という名の富
買い叩いて奪い合う尊厳

これ、例えば会社って好きなことしたい人間が自分の好きなことをさせるために人間を雇うんですよ。社会と会社ってただ文字ひっくり返しただけじゃないっすか。表裏一体。全ての社会の縮図として会社が成り立ってるんですね。つまり、会社のように、社会もそんな構図が出来上がってるんです!っていう社会への反乱みたいなもんです。そもそも前の記事でも書きましたが、ロック音楽は元々ヒッピー文化で栄えました。椎名林檎、ロックです。

 

乾杯日本の衆いつか本当の味を
知って酔いたいから樹立しよう
簡素な真人間に救いある新型社会次世代へ

サビ前。その社会に反乱する者たちが新しい社会を作る、もしくはその者たちに救いのある新しい社会を作れば「自由は作れるんじゃね?」ってことです。人種差別とかは別ですよ?社会って結局上下関係が成り立って出来る概念です。それをフラットにした場合、メリットもあります。下の優秀な人が上に直接提案できるとか。でも、能力ない人間をフラットに見た時、それはどうなる?って話になります。今の学校教育とかだと「1番進みが遅い人に合わせようね」的な感じが出来上がりつつあるんですが、僕はそれは反対派です。能力別にクラス分けすればいい。それは差別とは言わないですが、何かしら分ける行為っていうのは必ず必要になる場面が必ずあります。

んで、これがややこしくて、乾杯日本の衆ってことは日本人全員に向けたメッセージであることは確かです。しかし「簡素な真人間」って誰なんだ?って話です。例えば「真っ当に生きる日本人」だとすると、話は分かります。でも例えばそれが日本人全員のことだったと仮定すると、「みんな!いいひと!」の思想を未だに抱いていることになります。世界を変えるのは無理と分かっていながら、その思想を持ち続けてる。理想と現実ってやつです。って考えるとさっきの「真っ当に生きる日本人」って「日本人全員」ってなりません?ややこしいんですこれが。

 

ただ真っ当に生きうと言い放てる時遂に祝う
その一口ぞ青々と

自由たる香 さぞ染み入る事だろう
伝う汗と涙が報われて欲しい皆の衆

自由よ愛している
もう遠去かんないで傍に抱き寄せて
終始貴様を尊び敬って求める自由
鳴呼どうしたって意識せざるを得ない
逃すまじ失くすまじ愛されてみたい貴様にやっと

ラスサビです。真っ当に生きる、とは何なのか。定義はそれぞれです。犯罪を犯したりとかしないで生きるのが真っ当って人もいれば、言葉は悪いですが人を殺して真っ当だ、当たり前だ、なんて思想の人もいるはずです。一つだけ共通点があるなら「自分の望むことをしている」のが真っ当ってことだと思います。それこそが自由。すげー簡単に言います。「好きなことさせろ」ってことです。そりゃ好きなことした後に飲む酒はうめーわ。希望が報われた後、飲む酒が「緑酒」になるってことです。この緑酒、品質とかの問題じゃないです。どれだけ美味い酒を飲む状況を作るかによって味が変化するってことです。そりゃそんな酒のんだらBig Loveになるって。

ただ、嗚呼どうしたって意識せざるを得ない、ってことは、自分も理想を追い続けたいことの現れです。ちょーっと前と意味というか考えが変わります。だから多分最後の貴様って、理想を追い続けている人間しかいない日本の社会だと思います。それが理想の最終形態。

 

で、緑の話に戻ります。さっき「平和」って意味があります、って話しましたよね。多分その平和ってのが、自分の理想を好きに追える世界ってことだと思うんですよ。他にも「愛」とか「集団的」って意味があります。ドンピシャですね。でもね、もう一つ知ってほしい意味があるんですよ。それは「自分を見失う」ってことです。本当に自分の理想とは何か?と考えてしまう。そんな意味で考えると、また少し違った解釈が出来ます。

 

てな感じでいかがですか?

物書きの端くれとして、考えを書きました。「緑酒」を飲むために、自分は何をするべきか?理想を突き詰める?では自分の理想とは?という解釈が一人一人違いますから、十人十色、様々な解釈が出来ます。それも東京事変椎名林檎の最近書く詞のすげーとこだと思います。

 

ちなみに、紅灯緑酒って前言いましたね。歓楽だと。歓楽街で想像するのは歌舞伎町。椎名林檎、歌舞伎町の女王って歌、出してますよね。有名です。アレも、世間的からはまだ夜の世界は認められづらい時代においての、理想、夢の一種なのかな、と思いました。

 

いや、長えブログ。

あー、疲れたので檸檬堂飲みます。え?お前こだわり酒場のレモンサワーはどうしたって?浮気?だがら!だから前も言いましたが!イケメンが言った言葉を繰り返すとd